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津城の見どころレビュー | 御城印・続日本100名城スタンプ・アクセス

紘美(Hiromi)@旅行アドバイザー

自然派・コスパ旅専門の観光ブロガー。 現在、旅行業国家資格「国内旅行業務取扱管理者」取得に向け勉強中。 記事では実際に現地を訪れ、宿泊・体験したリアルな感想をもとにレビューを執筆。 「旅行前に読むだけで、その土地の魅力が一段深く味わえる」をコンセプトに発信しています。 コスパ重視の満足度の高い旅を求める方に向けて、リアルで実用的な情報をお届けしています。

2025年10月23日に三重県津市にある「続日本100名城」に選ばれている津城へ取材に行ってきました!

この記事では、津城の見どころが隅々までわかる記事になっています!

ぜひ、この記事を読んであなたも三重県を代表する日本の名城で有名な「津城」を訪れてみてくださいね!

津城について

津城の概要

津城の模擬三重櫓

津城は、三重県津市の中心部に築かれた平城で、戦国時代の天正8年(1580年)に織田信長の弟・織田信包によって築城されました。

その後、関ヶ原の戦いの前哨戦となった「安濃津城籠城戦」の舞台となり、慶長13年(1608年)には築城の名手として知られる藤堂高虎が入城。

城郭や城下町を大規模に整備し、津藩の政治・経済・文化の中心として発展しました。

現在は本丸周辺の石垣や内堀が良好な状態で残り、復元された丑寅櫓とともに往時の姿を今に伝えています。

歴史散策はもちろん、四季折々の風景も楽しめる津市を代表する歴史スポットです。

紘美(笑顔)
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ぼんちゃん(笑顔)
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津城は、日本城郭協会が選定する「続日本100名城」の一つだワン!

織田信包による築城と藤堂高虎による大改修という二つの時代の歴史を今に伝え、現在も石垣や内堀など見応えのある遺構が数多く残されているワン。

市街地の中心部にありながら気軽に歴史散策を楽しめることから、津市を代表する観光スポットとして多くの歴史ファンが訪れているワン!



津城の歴史

[ 戦国時代末期 ] 織田信包が築いた津城の始まり

戦国時代末期の津城のイメージ

津城の歴史は、戦国時代後期の天正8年(1580年)に始まります。

1568年、織田信長は上洛を果たし、天下統一へ向けた動きを本格化させました。

当時の伊勢国では、北畠氏・長野氏・神戸氏などの戦国大名や国衆が各地を治めており、それぞれが勢力を競い合っていました。

1569年から1575年頃にかけて、信長は北畠氏をはじめとする伊勢の諸勢力を次々と制圧し、伊勢国の支配を進めていきます。

津周辺を支配していた長野工藤氏(長野氏)は、永禄に入ると勢力が衰え、織田家の影響下に入ることとなりました。

信長は武力だけに頼るのではなく、弟・織田信包に長野工藤氏の家督を継承させることで、中勢地域の支配体制を強化します。

これは戦国時代によく見られた統治手法の一つで、既存の有力勢力を取り込みながら支配を広げる巧みな政策でした。

長野工藤氏の家督を継承した信包は、伊勢上野城を本拠として中勢地域を治めるようになります。

その後、交通や水運、軍事の要衝であった現在の津市中心部へ拠点を移すことを決断し、天正8年(1580年)に津城を築城しました。

これが、現在まで続く津城の始まりです。

築城地には、北を安濃川、南を岩田川に挟まれた低地が選ばれました。

この地形は、両河川を天然の堀として利用できる防御に優れた立地であり、さらに人工の堀を組み合わせることで、敵の侵入を防ぎやすい城が築かれました。

海にも近い立地を活かしたこの城は、後に「水城」と呼ばれる津城の特徴の原点となります。

当時の詳しい縄張り(城の設計図)は現存していませんが、江戸時代に描かれた古図には、現在も残る石垣に近い配置や、後の時代には見られない「局丸(つぼねまる)」などの曲輪が描かれています。

これらの絵図は、戦国時代の津城の姿を知るうえで貴重な史料となっています。

こうして誕生した津城は、その後、織田信包が津を離れると富田氏へと受け継がれます。

そして関ヶ原の戦いの前哨戦として知られる「安濃津城籠城戦」の舞台となり、激動の戦国時代を象徴する城として歴史に名を刻んでいくことになります。

紘美(笑顔)
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ぼんちゃん(笑顔)
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津城は、織田信長による伊勢平定の流れの中で築かれた城だワン!

安濃川や岩田川、さらに伊勢湾に近い立地を活かした水運と防御に優れた城として整備され、その後の城下町発展の礎となったワン。

戦国時代の築城から関ヶ原合戦、そして藤堂高虎による大改修へと続く歴史をたどることで、津城が時代の変化に合わせて発展してきた様子をより深く知ることができるワン!



[ 戦国時代と江戸時代 ] 関ヶ原の前哨戦「安濃津城籠城戦」

富田信高夫人の籠城戦のイメージ

天正10年(1582年)、織田信長は京都・本能寺で家臣の明智光秀による謀反に遭い、自害しました(本能寺の変)

その直後、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は山崎の戦いで明智光秀を討ち、織田家の後継体制を決める清須会議で大きな発言力を得ます。

その後も柴田勝家との「賤ヶ岳の戦い」、織田信雄・徳川家康との「小牧・長久手の戦い」などを経て織田家中で主導権を握り、天正13年(1585年)には関白に就任しました。

さらに四国・九州を平定し、天正18年(1590年)の小田原征伐で北条氏を滅ぼしたことで、事実上の天下統一を成し遂げます。

天下統一後、秀吉は全国的な大名配置(国替え)を実施しました。

この際、津城主だった織田信包は大和国宇陀松山城へ移封となり、津を離れます。

そして新たに津城へ入ったのが富田知信・信高親子でした。

富田氏は約20年にわたり津城を治め、城下町の整備を進めながら地域の発展に尽力しました。

慶長5年(1600年)、豊臣政権内の対立はついに天下分け目の戦いとして知られる関ヶ原の戦いへと発展します。

その前哨戦として行われたのが「安濃津城籠城戦(あのつじょうろうじょうせん)」です。

当時の城主・富田信高は、徳川家康率いる東軍に従って会津征伐へ出陣していたため津城を留守にしており、城には家臣団や町民で編成された義勇兵らが残されていました。

そこへ、西軍の総大将格の一人である毛利秀元率いる約3万人の大軍が津城を包囲します。

対する籠城側は約1,700人と伝えられ、その約8割は津の町の義勇兵だったといわれています。

圧倒的な兵力差がありながらも、城兵たちは広い堀や堅固な城郭を活かして勇敢に戦い、津城は容易には落城しませんでした。

この籠城戦で特に有名なのが、富田信高の正室による武勇伝です。

夫人は宇喜多忠家の娘で、宇喜多秀家の姪にあたる人物ですが、その名前は現在まで伝わっていません。

伝承によれば、若武者のように甲冑を身にまとい、自ら兵を指揮して奮戦したとされ、その勇敢な姿は城兵たちを大いに鼓舞したと伝えられています。

激しい攻防の末、津城は和議によって開城しました。

やがて関ヶ原の戦いで東軍が勝利すると、富田信高は津城へ復帰します。

しかし、この戦いによって津の城下町は大きな被害を受け、多くの町家が焼失するなど壊滅的な打撃を受けました。

関ヶ原の戦い後も富田信高は津城主を務めましたが、慶長13年(1608年)、徳川家康は豊臣家への備えを強化するため、大規模な国替えを実施します。

築城の名手として知られる藤堂高虎を伊予国今治から伊勢・伊賀へ移し、富田信高は伊予国宇和島へ転封となりました。

こうして津城は、江戸幕府の西国防衛を担う重要な城として、新たな時代を迎えることになります。

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ぼんちゃん(笑顔)
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津城は、関ヶ原の戦いの前哨戦として知られる「安濃津城籠城戦」の舞台となった城だワン!

約1,700人の籠城軍が約3万人の西軍を相手に奮戦した戦いは、津城の名を全国へ知らしめたワン。

戦いの後には築城の名手・藤堂高虎が入城し、城郭や城下町を大規模に整備。

現在見られる津城の石垣や縄張りの多くは、この高虎による改修を基礎としているワン。

戦国時代の激戦と江戸時代の城づくり、その両方の歴史を一度に感じられることが、津城の大きな魅力だワン!



【江戸時代初期】藤堂高虎が築いた近世城郭と城下町

津城と藤堂高虎のイメージ

慶長13年(1608年)、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、豊臣家がなお大きな勢力を保っていた大坂方面への備えを強化するため、大規模な国替えを行いました。

この際、築城の名手として知られる藤堂高虎が伊予国今治から伊勢・伊賀へ移され、22万石(後に32万3,950石)の領主として津城へ入封します。

徳川家康が高虎を津へ配置したのは、その優れた築城技術と統治能力を高く評価していたためとされています。

入封した高虎は、津城を単に修復するのではなく、近世城郭へと生まれ変わらせる大改修に着手しました。

慶長16年(1611年)頃から本格的な改修が始まり、本丸を北側と東側へ拡張するとともに、高い石垣を築き、本丸北側の丑寅(北東)と戌亥(北西)の隅には三重櫓を配置しました。

また、本丸の周囲には多聞櫓を巡らせ、防御力をさらに高めています。

本丸への主要な出入口には、柱や扉を鉄板で補強した「鉄門(くろがねもん)」が設けられ、堅固な城として整備されました。

津城の最大の特徴は、広大な内堀と外堀、さらに北を流れる安濃川、南を流れる岩田川を一体的に利用した「水城」としての構造です。

人工の堀と天然の河川を巧みに組み合わせた防御施設は、高虎の卓越した築城技術を今に伝えています。

現在も残る本丸北側の高石垣は、その代表的な遺構の一つです。

高虎が整備したのは城だけではありません。

城を中心とした城下町も一から再設計され、二之丸には藩の役所や重臣の屋敷を配置し、その外側には町人町を広げるなど、政治・経済・防衛を兼ね備えた計画的な町づくりが進められました。

この都市計画によって、津は伊勢・伊賀を治める藩政の中心地として発展していきます。

さらに高虎は、それまで海岸沿いを通っていた参宮街道のルートを城下町へ引き込み、外堀沿いを通るように付け替えました。

これにより、伊勢神宮へ向かう参拝客や旅人が自然と城下町を行き交うようになり、宿場町としても大きく発展します。

交通の流れを町へ取り込むこの都市設計は、経済の活性化にも大きく貢献し、現在の津市の町並みの基礎を築くことになりました。

こうして藤堂高虎は、戦国時代に築かれた津城を、防御性・政治性・経済性を兼ね備えた近世城郭へと大きく発展させました。

高虎が築いた石垣や堀、そして城下町の骨格は、400年以上が経った現在でも津市の景観や町並みにその面影を残しています。

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ぼんちゃん(笑顔)
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現在私たちが目にする津城の姿は、築城の名手・藤堂高虎による大改修によって形づくられたワン!

高虎は高石垣や三重櫓、広大な堀を整備して防御力を高めるとともに、城下町や参宮街道のルートまで再設計し、津を政治・経済・交通の拠点へと発展させたワン。

城だけでなく町全体を計画的に造り上げたその手腕は、現在の津市の街並みにも受け継がれているワン。

津城を歩く際は、石垣や堀だけでなく、城下町の道路や町並みにも目を向けると、高虎の壮大な都市設計をより深く感じられるワン!


[ 現在 ] 明治以降の津城跡と現在

現在の津城のイメージ

明治時代になると、全国の城はその役割を終え、大きな転換期を迎えます。

明治4年(1871年)の廃藩置県によって津藩は廃止され、津城も藩庁としての役目を終えました。

さらに、明治6年(1873年)に発令された「廃城令」により、多くの城郭と同様に津城も廃城となります。

廃城後は天守や櫓、門などの建物が次々と取り壊され、長い歴史を刻んできた城郭の多くは姿を消しました。

しかし、本丸を囲む堅牢な石垣や広大な内堀の一部は取り壊されることなく残され、近世城郭としての面影を現在まで伝えています。

特に本丸北側の高石垣は、築城の名手・藤堂高虎の技術を今に伝える貴重な遺構として知られています。

戦後になると、津城跡の保存・整備が進められ、昭和33年(1958年)には本丸北東隅に建っていた丑寅櫓(うしとらやぐら)が外観復元されました。

白壁と三重櫓が石垣の上にそびえる姿は、往時の津城を偲ばせる象徴的な景観となっており、多くの観光客や写真愛好家が訪れる人気の撮影スポットとなっています。

現在の津城跡は「お城公園」として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。

春には約1,000本の桜が咲き誇る県内有数の花見スポットとなり、四季折々の自然を楽しみながら歴史散策ができる場所としても人気です。

また、園内には藤堂高虎公の銅像や日本庭園なども整備されており、戦国時代から江戸時代、そして現代へと続く津城の歴史を身近に感じることができます。

約450年前に織田信包によって築かれ、富田氏の時代には関ヶ原の前哨戦「安濃津城籠城戦」の舞台となり、藤堂高虎によって近世城郭へと大きく発展した津城。

現在は建物の多くが失われたものの、石垣や堀、復元櫓、そして城下町の町割りには往時の面影が色濃く残されています。

津城跡は、戦国時代から江戸時代へと続く歴史の息吹を感じながら散策できる、津市を代表する歴史スポットとなっています。

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津城は廃城によって多くの建物を失いましたが、高石垣や内堀、復元された丑寅櫓などが往時の姿を今に伝えているワン。

現在は「お城公園」として整備され、春には約1,000本の桜が咲き誇る津市屈指の花見スポットとしても親しまれているワン!

戦国時代の築城から藤堂高虎による大改修、そして現代へと受け継がれてきた約450年の歴史を感じながら、四季折々の景色とともに歴史散策を楽しめるのが津城跡の大きな魅力だワン!


津城の見どころ

津城のMAP

上に掲載している写真は、現在の津城跡と江戸時代の津城の縄張りを比較したMAPです。

現在の津城跡として残っているのは、本丸・西の丸と、その北西側にある内堀の一部です。

一方で、かつて本丸を囲んでいた内堀や東の丸、二の丸、外堀は、明治維新以降の近代化や市街地整備に伴って埋め立てられ、現在ではその多くが姿を消しています。

また、天守や櫓、多聞櫓などの建物も明治時代までにすべて取り壊されました。

江戸時代の津城は、外堀を含めると南北約800m、東西約750mにも及ぶ広大な城郭で、城下町を取り込んだ大規模な城でした。

現在、お城公園として整備されている範囲は南北約300m、東西約180mほどで、往時の城域の一部にあたります。

MAPを見比べながら園内を散策すると、現在の市街地の中に、かつて広大な城と城下町が広がっていたことをイメージしやすくなります。

現地では、石垣や内堀の位置とMAPを照らし合わせながら歩いてみると、築城の名手・藤堂高虎が築いた近世城郭のスケールをより実感できるでしょう。

紘美(笑顔)
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模擬三重櫓

現在、津城跡のシンボルとなっているのが「津城 模擬三重櫓」です。

模擬三重櫓は、土曜・日曜・祝日に内部が限定公開されています。

通常の見学時間は午前10時頃から午後3時頃まです。

現在の櫓は江戸時代から残る建物ではなく、昭和33年(1958)に津城の歴史を後世へ伝えるために建てられた模擬櫓で、お城公園のランドマークとして親しまれています。

建設にあたっては、地元住民を中心に結成された建設期成会が募金活動を行い、多くの市民の協力によって実現しました。

津市や三重県からの支援も受けて完成したもので、地域の人々の「津城を未来へ残したい」という思いが込められています。

模擬三重櫓は、国道23号からもよく見えるよう、本丸東側の東多門櫓台の上に鉄筋コンクリート造で建てられました。

設計は三重県立津工業高等学校の教諭らによる建築研究会が担当し、全国の名城に見られる櫓の意匠を参考にしながら、津城独自の景観に調和するデザインが採用されています。

白漆喰の美しい外壁や、千鳥破風・唐破風を組み合わせた屋根、屋根の上に据えられた鯱など、近世城郭の櫓らしい特徴が随所に見られます。

石垣の上に建つその姿は、水堀とともに津城らしい風景を演出しており、園内でも特に写真映えするスポットの一つです。

平成18年(2006)には老朽化に伴う改修工事が行われ、現在も良好な状態で保存されています。

内部には津城に関する展示スペースが設けられており、最上階からはお城公園や津市街地を一望できます。

津城を訪れた際は、歴史を学びながら景色も楽しめる見どころとして、ぜひ立ち寄ってみてください。

紘美(笑顔)
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石垣

津城を訪れたら、ぜひ注目してほしいのが築城の名手・藤堂高虎が築いた石垣です。

現在も本丸や西の丸には江戸時代の石垣が良好な状態で残されており、高虎の優れた築城技術を間近で見ることができます。

津城の石垣には、角を頑丈に積み上げる算木積みをはじめ、石材を精巧に加工して積み上げる打込みはぎ切込みはぎなど、時代ごとの石垣技術が見られます。

また、石を切り出した際に残る矢穴や、石材に刻まれた刻印も各所で確認できるため、石垣をじっくり観察するとさまざまな発見があります。

さらに津城では、築城や改修が行われた時代ごとの違いにも注目です。

織田信包が築城した当初の石垣には、自然石をほぼ加工せずに積み上げる野面積みの特徴が見られます。

一方、藤堂高虎による大改修では、算木積み打込みはぎ切込みはぎといった、より高度な石垣技術が採用されました。

その後の修復では谷積み犬走りなども加えられ、現在の石垣には約450年にわたる津城の歴史が刻まれています。

城跡を散策する際は、遠くから石垣全体の美しい曲線や高さを眺めるだけでなく、近くまで足を運んで石の積み方や刻印にも目を向けてみてください。

石垣一つひとつに、時代ごとの築城技術や修復の歴史が息づいていることを感じられるでしょう。

紘美(笑顔)
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天守台

津城の本丸に残る天守台は、津城の歴史を今に伝える貴重な遺構の一つです。

現在は天守こそ残っていませんが、石垣を眺めることで、かつてこの場所にそびえていた天守の姿を想像することができます。

天守台は、天正8年(1580)に津城を築いた織田信包によって築かれたと考えられています。

当時は五層の望楼型天守が建てられていたとされますが、関ヶ原の戦いに先立って起こった安濃津城の戦いで焼失したと伝えられています。

その後、三層の天守として再建されたものの、寛文2年(1662)の津城下の大火によって再び焼失し、その後は再建されませんでした。

現在の天守台には、藤堂高虎が津城を近世城郭へと改修した際の石垣も残されており、築城当初の遺構と高虎による改修の痕跡が共存する見どころとなっています。

石垣をよく見ると、時代による積み方の違いを観察できるのも魅力です。

また、当時の天守は石垣の上に直接入口を設けるのではなく、梯子を使って内部へ出入りする構造だったと考えられています。

天守台にはその名残とされる開口部や穴蔵も残っており、防御性を重視した城の造りを感じることができます。

天守台の規模は南北約16m、東西約14mで、西側には幅約8mの犬走が設けられていました。

現地では石垣の迫力を間近で楽しみながら、津城のシンボルであった天守の姿に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

紘美(笑顔)
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藤堂高虎の銅像と遺訓

津城本丸広場には、津藩初代藩主であり、築城の名手として知られる藤堂高虎の銅像と、高虎が後世に伝えた遺訓が建立されています。

津城を訪れた際には、ぜひ足を止めて見学したいスポットの一つです。

銅像のそばに刻まれている遺訓は、「高山公遺訓二百ヶ条」の第一条として知られる言葉です。

「寝屋を出るより其日を死番と可得心、かやうに覚悟極るゆへに物に動ずる事なし、是可為本意」

現代語にすると、「寝屋(寝床)を出るときから『今日が自分の命日(死ぬ日)』だと覚悟を決める。そのように腹をくくっているからこそ、何が起きても心が動揺しない。これこそが武士の本来あるべき姿(本意)とするべきだ」という意味になります。

「高山公遺訓二百ヶ条」は、藤堂高虎が家臣や子孫へ伝えた教えをまとめた遺訓集で、政治や人材育成、日々の心構えなどについて説いた約200の教訓が収められています。

その内容からは、戦国武将として数々の戦乱を生き抜き、築城や藩政でも優れた手腕を発揮した高虎の価値観や人柄をうかがうことができます。

高山公とは、藤堂高虎に送られた名前が「高山大僧都(こうざんざいそうず)」であったため、高山公と記されています。

津城は高虎によって近世城郭へと大きく生まれ変わりました。

城内に立つこの銅像と遺訓は、津藩の礎を築いた高虎の功績を今に伝える存在です。

城跡を散策する際は、その偉業だけでなく、後世へ残した教えにもぜひ目を向けてみてください。

紘美(笑顔)
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埋門(うずみもん)

本丸南側の石垣に設けられている埋門(うずみもん)は、寛永16年(1639)に築かれた非常口です。

普段は目立たない場所に設けられていましたが、有事の際には本丸から城外へ脱出するための重要な役割を担っていました。

埋門周辺の石垣には、藤堂高虎の築城技術を受け継ぐ美しい算木積み切込みはぎを見ることができます。

石垣の角は長方形の石材を交互に積み重ねることで強度を高め、隙間なく加工された石材が積み上げられた様子からは、高度な石垣技術を間近に感じられます。

また、石垣の南側には幅約4mの犬走りが設けられていました。

この通路を通って東多聞櫓や太鼓櫓の下を経由し、城外へ避難できる構造になっていたと考えられています。

華やかな天守や櫓とは異なり、こうした非常時を想定した設備からも、津城が防御を重視した実戦的な城であったことがうかがえます。

当時、本丸の南側には幅約100mにも及ぶ広大な内堀が広がっていました。

その規模は全国の城郭の中でも屈指とされ、津城が「水城」と呼ばれる理由の一つとなっています。

さらに、石垣の表面にはノミで細かな筋を入れるすだれ仕上げや、表面を整えるはつり仕上げが施されており、防御性だけでなく、美観にも配慮して築かれていたことが分かります。

埋門周辺は、津城の優れた石垣技術と防御施設を一度に見学できる見どころです。

石垣の積み方や仕上げにも注目しながら歩くと、築城の名手・藤堂高虎が手掛けた城づくりの工夫をより深く感じられるでしょう。

紘美(笑顔)
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入徳門(にゅうとくもん)

津城跡に建つ入徳門は、江戸時代後期に津藩の藩校「有造館(ゆうぞうかん)」の正門として建てられた歴史ある建造物です。

城郭の遺構ではありませんが、津藩の教育や文化を今に伝える貴重な文化財として大切に保存されています。

この門が建てられたのは文政3年(1820年)

津藩第10代藩主 藤堂高兌(とうどう たかさわ) が、人材育成を目的として藩校・有造館を創設した際、その講堂の正門として造られました。

高兌は、津藩を治めた藤堂高虎の子孫にあたり、藩政の充実だけでなく教育にも力を注いだ人物として知られています。

入徳門」という名前は、「大学は諸学徳に入る門なり」という言葉に由来すると伝えられています。

その名のとおり、学問を通して徳を身につける場所への入口という意味が込められており、当時は礼儀や作法を重んじる厳かな門として、多くの藩士やその子弟を迎え入れました。

明治4年(1871年)の廃藩置県により有造館は閉校となりましたが、入徳門はその後も小学校や師範学校、中学校、幼稚園、県立図書館などの正門として受け継がれ、時代に合わせて設置場所を変えながら保存されてきました。

昭和20年(1945年)の津空襲では戦火を免れ、その後も移築・修復を経て、昭和46年(1971年)に現在地へ移設されています。

さらに昭和61年から62年(1986~1987年)には解体修理が行われ、創建当時の姿を後世へ伝えるための保存整備が実施されました。

華やかな城郭建築とは異なりますが、入徳門は津藩が武士の教育を重視していたことを象徴する建造物です。

津城跡を巡る際には、城の歴史だけでなく、藩政や教育の歩みにも触れられる見どころとして、ぜひ立ち寄ってみてください。

紘美(笑顔)
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[ 動画で見る ] 津城

上記の動画では、津城跡の見どころを歩きながら紹介しています。

実際に園内を散策しているような感覚で、津城の歴史や現在の様子をご覧いただけます。

まず目に入るのが、津城跡のシンボルである模擬三重櫓です。

江戸時代には丑寅櫓が建っていた場所に復興されており、現在ではお城公園を代表するランドマークとなっています。

石垣の上まで登ることができ、櫓の迫力を間近で楽しめます。

模擬三重櫓は土・日曜日、祝日を中心に内部が一般公開されており、館内では津城に関する展示を見学できます(公開日時は変更される場合があるため、訪問前に最新情報をご確認ください)。

私が訪れた日は平日だったため、残念ながら内部を見学することはできませんでした。

櫓の外壁には、敵を迎え撃つために設けられた狭間(さま)が再現されており、城郭建築らしい雰囲気を感じられます。

また、櫓からは石垣の上を歩くこともできますが、安全柵が設置されていない場所や足元が不安定な箇所もあります。見学の際は足元に十分注意し、小さなお子さん連れの方や足腰に不安のある方は無理をしないようにしましょう。

石垣を下りると、本丸内には遊歩道が整備されており、ゆったりと散策を楽しめます。

北側には儒学者として知られる土井聱牙(どい ごうが)の詩碑が建ち、さらに西へ進むと、西の丸へ通じる西鉄門虎口跡へと続きます。

その先にある西の丸は、庭園が広がる落ち着いた空間です。

正門付近には江戸時代の面影を残す遺構が残されており、園内には藩校・有造館の正門として建てられた入徳門も保存されています。

津藩の教育の歴史に触れられる貴重なスポットです。

本丸へ戻って南西へ進むと、織田信包が築いたとされる天守台があります。

後に藤堂高虎による改修が加えられましたが、築城当初の面影を今に伝える貴重な遺構として見学できます。

本丸中央には、津城を近世城郭へと発展させた藤堂高虎の銅像と、その教えを記した遺訓碑が建っています。

そして本丸北側へ足を運ぶと、江戸時代の姿を色濃く残す石垣と内堀が目の前に広がります。

津城を象徴する「水城」の景観を楽しめる、散策の締めくくりにふさわしい見どころです。

動画をご覧いただくことで、各スポットの位置関係や園内の雰囲気がより分かりやすくなります。

実際に現地を訪れる前の予習としても、散策後の振り返りとしてもぜひご活用ください。

紘美(笑顔)
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津城の多目的トイレ

津城の東鉄門跡の多目的トイレ

津城跡を訪れる際に利用できる多目的トイレをご紹介します。

多目的トイレは、津城本丸の東側の東鉄門跡すぐ南に設置されています。

登城前や散策後に利用しやすい場所にあるため、安心して津城を見学できます。

入口から室内までは段差がなく、車椅子やベビーカーでもスムーズに入室できるバリアフリー設計となっています。

室内も十分な広さが確保されており、方向転換や移動もしやすい印象でした。

トイレは洋式便器を採用しており、便座の左右には手すりが設置されています。

車椅子をご利用の方が便座へ移乗しやすい構造となっており、一人でも利用しやすいよう配慮されています。

一方で、温水洗浄便座(ウォシュレット)は設置されていません

必要な方は、「トイレに流せる」と表示されたウェットティッシュなどを持参すると安心です。

なお、流せないタイプのウェットティッシュは配管詰まりの原因となるため、絶対に流さないようにしましょう。

また、私が訪れた時点では、サニタリーボックスやおむつ用ごみ箱は設置されておらず、設備は便器と洗面台を中心としたシンプルな造りでした。

利用を予定されている方は、必要なものをあらかじめ準備しておくと安心です。

津城周辺にはトイレの数が限られているため、本丸を散策する前に利用しておくと、ゆっくりと城跡見学を楽しめるでしょう。

紘美(普通)
紘美(普通)


ペット同伴

津城跡は、ペット同伴で散策することができます

広い城跡を愛犬と一緒に散歩しながら、歴史ある景観を楽しめるのも田丸城の魅力の一つです。

ただし、見学の際は必ずリードを着用し、愛犬から目を離さないようにしましょう

また、排泄物は必ず持ち帰り、周囲の利用者や地域住民への配慮を忘れないことが大切です。

散策中はマナーを守り、排泄物の適切な処理を心掛けましょう。

津城跡は、地域の方々の生活の場にも隣接する歴史公園です。

一人ひとりがルールやマナーを守ることで、訪れる人も地域の方も気持ちよく過ごすことができます。

これからも多くの人が田丸城を安心して楽しめるよう、責任ある行動を心掛けながら散策を楽しみましょう。

紘美(普通)
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津城の施設情報

以下に田丸城の施設情報を掲載しておきます。

  • 営業時間:24時間 年中無休
  • 入城料:無料

模造三重櫓開放時間

  • 開放日:土日・祝日
  • 開放時間:10:00 〜 15:00
  • 入場料:無料
紘美(笑顔)
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アクセス

車でのお越しの場合

車でお越しの方は、津城跡すぐ東隣にある「津市営お城東駐車場」を利用することができます。

駐車場情報は以下の通りです。

  • 営業時間:7:00 〜 22:00
  • 駐車料金:100円/30分まで
         以降 50円/30分 最大1000円
  • 駐車台数:160台ほど
  • イベント時:休日は混雑しやすいため注意

この駐車場が満車で利用できない場合は、津城跡西隣の「津市役所駐車場(無料)」を使うこともできます。
※津市役所駐車場は未取材で営業時間等調べても出てこなかったため、詳細は記載していません。

紘美(笑顔)
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バイクでのお越しの場合

車でお越しの方は、津市役所の駐輪場を利用することができます。

駐車場情報は以下の通りです。

  • 営業時間:24時間
  • 駐車料金:無料
  • 駐車台数:20台ほど
  • イベント時:休日は混雑しやすいため注意
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交通機関でのお越しの場合

交通機関でお越しの方は、津新町駅にてお越しいただけます。

交通機関情報は以下の通りです。

  • [ 近鉄 ] 名古屋線「津新町駅」下車 → 徒歩15分
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記念品・お土産

記念品

御城印

津城を訪れた際に、ぜひチェックしておきたいのが「御城印」です。

観光の記念として人気が高く、城巡りを楽しむ方にとってはコレクション要素のあるアイテムとしても知られています。

御城印とは、城名やゆかりのある武将の名前、家紋などが記された記念の印で、神社やお寺の御朱印のように、訪れた証として集める人が増えています。
近年では各地の城で独自のデザインが用意されており、その城ならではの個性を楽しめるのも魅力です。

津城の御城印は、「近鉄 津駅」東にあるアストTSU 1階「津市観光協会」にて用意されています。

津市観光協会の営業時間は、10:00〜18:00です。

御城印料金は、

  • 通常版:300円

旅の思い出としてはもちろん、コレクションとしても楽しめる御城印は、登城の記念にぜひ手に入れておきたいアイテム

紘美(笑顔)
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御城印をコレクションしようと思っている方へ

御城印をコレクションする大切なものとして「御城印帳」があります。

あなたのセンスにピッタリな御城印帳と出会えるお手伝いとして、すぐ手に入る御城印帳を以下の記事にまとめました。

ぜひ、以下の記事であなたのお気に入りの御城印帳を見つけて日本全国のお城を巡ってみてください!

「ネットですぐ手に入る御城印帳 160選」をチェックする


続日本100名城スタンプ

津城を訪れた際に、御城印とあわせてぜひチェックしておきたいのが「日本続100名城スタンプ」です。
城巡りを楽しむ方にとっては定番の記念アイテムで、訪問の証として人気があります。

津城は、日本全国にある数多くの城の中から選ばれた「日本続100名城」のひとつに数えられています。
この選出は、日本の代表的な名城を選定し、その歴史や文化を広く伝えることを目的としたもので、選ばれるのはわずか100城のみです。

日本続100名城スタンプとは、各城に設置されている専用の記念スタンプで、専用のスタンプ帳に押して集めていく楽しみ方が一般的です。
城ごとにデザインが異なり、その城の特徴や象徴が表現されているため、コレクション性が高いのも魅力です。

津城でもスタンプが設置されており、登城の記念として気軽に楽しむことができます。
すでにスタンプ帳を持っている方はもちろん、これから集めてみたいという方にとっても、旅の楽しみを広げてくれるきっかけになるはずです。

津城の続日本100名城スタンプは、津城跡南西側にある高山神社社務所前にて用意されています。

高山神社社務所の営業時間は、9:00〜16:00です。

御城印とあわせて集めることで、より思い出に残る観光体験になるため、訪れた際は忘れずにチェックしておくのがおすすめです。

紘美(笑顔)
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日本100名城記念スタンプをコレクションしようと思っている方へ

100名城記念スタンプをコレクションする大切なものとして「100名城スタンプ帳」があります。

スタンプ帳は、公益財団法人 日本城郭協会の公式スタンプ帳があるので、こちらもお忘れなく。

スタンプ帳は、以下からAmazon(ネット通販)にて手に入れれます。

ぜひ、日本の多数のお城の中から選び抜かれた名城200城をスタンプ帳と共に巡ってみてくださいね。


お土産

伊勢茶

伊勢茶は、三重県を代表する特産品のひとつで、古くから地域の食文化とともに親しまれてきたお茶です。
温暖な気候や豊かな自然に恵まれた環境で育まれ、コクのある味わいとやさしい香りが魅力とされています。

伊勢茶は、旨みとほどよい渋みの調和が特徴ともいわれ、濃厚さの中にもまろやかさを感じられるのが魅力です。
煎茶やかぶせ茶、玉露など種類も幅広く、なかでもかぶせ茶は上品な甘みとやわらかな口当たりで人気があります。

お茶づくりでは、土づくりから栽培、摘み取り、製茶まで、多くの手間が重ねられています。
とくに茶葉は摘採の時期によって品質が左右されるため、生育状況を見極めながら最適なタイミングで収穫されることも、おいしさを支える要素のひとつとされています。

また、焙煎や仕上げによって香りや味わいに個性が生まれるのも日本茶の奥深さ。
伊勢茶も、生産者ごとに風味の違いを楽しめることがあり、飲み比べる面白さがあります。

観光の楽しみとしても、伊勢茶は魅力的な存在です。
地元の和菓子とともに味わえば、お茶の旨みがより引き立ち、三重ならではの食文化にも触れることができます。
旅先でその土地のお茶を味わうことは、風土を感じる楽しみのひとつともいえるでしょう。

近年は、健康成分として知られるカテキンやテアニンを含むことでも注目されていますが、それ以上に、地域に根差した文化としての価値も大きいお茶です。

三重を訪れた際は、史跡や自然景観だけでなく、こうした伊勢茶の魅力にも目を向けてみると、旅の楽しみがさらに広がるかもしれません。

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※通販サイトリンク先は紹介店舗の商品ではありませんが、似たタイプの類似品です。
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平治煎餅

平治煎餅は、三重県津市を代表する郷土菓子のひとつで、素朴でやさしい味わいと、物語性を持つ意匠で親しまれてきた銘菓です。

特徴的なのは、その笠のような丸みを帯びた形。
これは、津市の阿漕浦に伝わる「孝子平治」の伝説に登場する“忘れ笠”をかたどったものとされています。
お菓子でありながら、土地に根付く伝承を今に伝える存在でもあります。

原材料は小麦粉、砂糖、卵を基本としたシンプルなつくりで、軽やかな口当たりとやさしい甘みが魅力。
どこか懐かしさを感じる味わいで、お茶請けにもよく合います。
とくに伊勢茶との相性は良く、三重らしい組み合わせとして楽しめます。

このお菓子の背景にある「阿漕」の物語も興味深いものです。
阿漕浦には、病の母を思い禁漁を破って魚を獲った平治の伝説が残されており、その孝行心ゆえの悲話は、謡曲『阿漕』などでも知られています。

平治煎餅は、そうした伝承を題材に生まれた郷土菓子であり、単なる名物土産にとどまらず、地域文化と結びついた存在といえるでしょう。
物語を知ってから味わうと、お菓子の印象もまた少し変わって感じられるかもしれません。

大正時代から続く歴史ある銘菓として長く親しまれてきたことも魅力のひとつで、津らしさを感じられる手土産としても人気があります。

津市を旅するなら、城跡や神社などの歴史スポットとあわせて、こうした土地に根差した食文化にも触れてみると、旅の楽しみがより深まるでしょう。
平治煎餅は、そんな津の歴史と風土を味わえる一品です。

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いちご大福

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有限会社 とらや本家のいちご大福は、津を代表する和菓子のひとつとして親しまれている名物です。
甘酸っぱいいちごと上品な白あん、やわらかな求肥が重なり合う味わいは、多くの人に愛されてきました。

特徴は、大粒のいちごの瑞々しさと、甘さを抑えた白あんとの絶妙なバランス。
いちごの酸味が白あんのやさしい甘みを引き立て、ふんわりした求肥が全体を包み込むことで、上品な一体感を生み出しています。

このいちご大福は、津市では「発祥のひとつ」として語られることもあり(発祥説には諸説あります)、地域の食文化を語るうえでも興味深い存在です。

販売は例年11月頃から5月頃までの季節限定とされ、旬の時期ならではの楽しみでもあります。

また、和菓子としてのおいしさだけでなく、津観音や大門周辺のまち歩きと組み合わせやすいのも魅力。
城下町や門前町の雰囲気を感じながら味わうと、旅情もいっそう深まります。

いちご大福は全国にありますが、とらや本家のものは、津の土地で育まれてきた物語性も含めて味わいたい一品。
観光のお土産にはもちろん、現地でできたてを楽しむのもおすすめです。

三重県津市を訪れた際は、歴史散策や寺社巡りとあわせて、この土地ならではの甘味として味わってみてはいかがでしょうか。

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ランチ

[ 焼肉店 ] 元祖ホルモン脇田屋 津店 

津城から徒歩で約8分の場所にある「元祖ホルモン脇田屋 津店」は、松阪牛をリーズナブルに味わえる人気の焼肉店です。

ランチタイムには、松阪牛カルビや牛タン、ホルモンなどをお得なセットで楽しめることから、地元の方はもちろん、観光客にも人気があります。

口コミでは、「ホルモンに臭みがなく、とろけるような食感」という評価が特に多く、看板メニューであるホルモンはぜひ味わいたい一品です。

また、厚切りの牛タンは程よい歯ごたえとジューシーな旨みがあり、リピーターからも高い支持を集めています。

焼肉は炭火で焼き上げるスタイルで、香ばしい風味を楽しめるのも魅力です。

三重県ならではの味噌だれは、最初は珍しく感じても、食べ進めるうちにクセになるという声も多く見られました。

カルビやホルモンはもちろん、若鶏との相性も良く、ご飯が進む味付けです。

ランチセットには、ご飯、サラダ、スープ、ナムルなどが付くメニューが多く、ボリュームも十分。

価格以上の満足感があるという口コミが目立ち、焼肉を気軽に楽しみたい方にもおすすめです。

店内はテーブル席と座敷席があり、駐車場も完備されているため、家族連れやグループでも利用しやすいお店です。

休日の昼時は混み合うこともあるため、確実に利用したい場合は事前予約をしておくと安心でしょう。

津城観光の後に、三重県が誇る松阪牛や名物ホルモンを味わいたい方には、ぜひ訪れていただきたい一軒です。

紘美(笑顔)
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元祖ホルモン脇田屋 津店をチェックする


[ とんかつ・カレー屋 ] カトレア

津城から徒歩5分圏内にある「カトレヤ」は、昔ながらの雰囲気が漂う老舗の洋食店です。

看板メニューのとんかつは地元でも人気が高く、ランチタイムには多くのお客さんで賑わいます。

一番の魅力は、サクッと揚がったとんかつと、好みに合わせて選べるソースです。

味噌ダレをはじめ、オリジナルソースやデミグラスソース、とんかつソースなど複数の種類が用意されており、同じとんかつでも異なる味わいを楽しめます。

なかでも人気の味噌ダレは、名古屋の濃厚な味噌カツとは少し異なり、甘みとコクがありながらも比較的まろやかな味わいで、最後まで飽きずに食べられると評判です。

とんかつは衣が軽くサクサクとした食感で、豚肉はやわらかく食べ応えも十分。

肉厚のロースカツやヒレカツのほか、メンチカツや日替わりランチなどメニューも豊富で、その日の気分に合わせて選べます。

ランチにはライスや赤だし、サラダなどが付くセットもあり、ボリュームとコストパフォーマンスの良さも好評です。

店内はカウンター席とテーブル席を備えたコンパクトな造りで、どこか懐かしさを感じるアットホームな空間です。

地元の常連客も多く、親しみやすい接客も魅力の一つ。

昼時は行列ができることもありますが、比較的回転が早いため、少し時間をずらして訪れるのもおすすめです。

津城観光の前後に、津市で長年愛されてきた老舗の味を楽しみたい方には、ぜひ立ち寄っていただきたい一軒です。

紘美(笑顔)
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[ イタリアン バル ] アルベロ

津城から徒歩12分ほどにある「アルベロ」は、おしゃれで落ち着いた雰囲気の中で本格イタリアンを楽しめる人気店です。

木の温もりを感じる店内は居心地が良く、ランチや女子会、デート、記念日など幅広いシーンで利用されています。

ランチは前菜・パスタ・デザート・ドリンクを組み合わせたコースが人気で、彩り豊かな前菜の盛り合わせは見た目にも美しく、一品一品が丁寧に仕上げられています。

カルパッチョやマリネ、パテなど、その日ごとの旬の食材を取り入れた内容も魅力です。

パスタは、カチョ・エ・ペペイカスミのスパゲッティカラスミのアーリオ・オーリオなど、本格的な味わいが評判です。

アルデンテに茹でられた麺と素材の風味を生かしたソースがよく絡み、シンプルながら奥深いおいしさを楽しめます。

季節限定のパスタが登場することもあり、訪れるたびに違った味に出会えるのも魅力です。

食後にはティラミスやプリン、パンナコッタなどのデザートも人気で、コーヒーや紅茶とともにゆったりとした時間を過ごせます。

夜はブッラータチーズや肉料理などのアラカルトも充実しており、本格的なイタリア料理を味わいたい方にもおすすめです。

店舗専用駐車場はありませんが、近隣のコインパーキングを利用できるため、車でも訪れやすいお店です。

津城からも徒歩圏内にあるため、城跡散策とあわせてランチを楽しむのにもぴったりの一軒です。

紘美(笑顔)
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周辺情報

観光地

松坂城

松坂城は、三重県松阪市の中心部に位置する歴史ある城跡で、現在は石垣が美しく残る公園として整備されています。
天守などの建物は現存していませんが、重厚感のある石垣と開放的な景観が魅力で、ゆったりと歴史散策を楽しめるスポットです。

この城は、戦国時代の武将であり商人としても知られる蒲生氏郷によって築かれました。
氏郷は城下町の整備にも力を入れ、現在の松阪の基盤を築いた人物とされています。
その後、紀州藩の支配下に入り、江戸時代を通じて地域の中心として機能しました。

松坂城の最大の見どころは、野面積みを中心とした力強い石垣です。
自然石を巧みに積み上げた石垣は迫力があり、場所によって異なる表情を見せてくれます。
特に本丸周辺の高石垣は見応えがあり、当時の築城技術の高さを感じることができます。

城跡は現在「松阪公園」として整備されており、四季折々の自然とともに散策を楽しめます。
春には桜が咲き誇り、花見スポットとしても人気があり、多くの人で賑わいます。
また、本丸跡からは松阪市内を一望でき、開放的な景色も魅力のひとつです。

さらに、城の周辺には歴史的な建物や資料館も点在しており、松阪の文化や歴史を深く知ることができます。
中でも、近くにある本居宣長記念館では、江戸時代の国学者・本居宣長に関する資料が展示されており、あわせて訪れることでより理解が深まります。

派手な天守こそありませんが、石垣の美しさと歴史の重みをじっくり味わえる松坂城は、落ち着いた城巡りを楽しみたい方におすすめのスポットです。
松阪牛グルメとあわせて訪れることで、観光の満足度をさらに高めてくれるでしょう。

紘美(笑顔)
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[ 現地取材したレビュー記事 ]


伊賀上野城

伊賀上野城は、三重県を代表する名城のひとつで、歴史散策が好きな方なら一度は訪れてみたいスポットです。
多気北畠氏城館跡とあわせて巡ると、中世の山城と近世城郭という異なる城の魅力を比較して楽しめるのも面白いところです。

この城は、戦国武将 筒井定次による築城を起源とし、その後、築城の名手として知られる 藤堂高虎によって大規模に整備されたことで知られています。

特に有名なのが、高石垣。城を支える堂々たる石垣は迫力があり、日本有数の高さを誇るともいわれています。
見上げると圧倒されるようなスケールで、築城技術の高さを実感できる見どころのひとつです。

現在の天守は木造で復興されたもので、優美な姿から「白鳳城(はくほうじょう)」とも呼ばれています。
白く美しい外観は青空にも映え、写真映えする城としても人気があります。

天守内部では、武具や歴史資料の展示を見ることができ、最上階からは伊賀の城下町や周辺の山並みを望むこともできます。
城下を見渡していると、往時の城下町の姿を想像したくなるような趣があります。

また、城周辺には伊賀流忍者博物館や俳聖殿などもあり、忍者文化や文学にも触れられるため、城だけで終わらない観光が楽しめます。

伊賀上野城は津城と同じく藤堂高虎の近世城郭の完成度や城下文化を楽しめるスポット。
どちらも歴史好きには魅力があり、あわせて巡るとより理解が深まります。

津城を訪れたあとに、壮麗な石垣と天守を持つ伊賀上野城を巡る。
そんな歴史旅も、三重ならではの楽しみ方のひとつです

紘美(笑顔)
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[ 現地取材したレビュー記事 ]


田丸城

津城を見学した方に、ぜひあわせて訪れていただきたいのが田丸城です。

田丸城は、南北朝時代の延元元年(1336年)に北畠親房によって、南朝方の重要な拠点として築かれた平山城です。

多気北畠氏城館跡とともに、北畠氏ゆかりの城として知られています。

築城当初は南朝勢力を支える軍事拠点でしたが、その後は北畠氏や一族の田丸氏によって受け継がれ、伊勢南部の政治・軍事の拠点として発展しました。

戦国時代には織田信長の伊勢侵攻を経て、織田信雄が城主となります。

信雄は中世の山城だった田丸城を大規模に改修し、天守や枡形虎口を備えた近世城郭へと姿を変えました。

その後も稲葉氏や紀州徳川家の家老・久野氏によって修築が重ねられ、現在でも美しい石垣や堀、縄張りなどが良好な状態で残されており、中世から近世へと移り変わる城郭の姿を間近に見ることができます。

田丸城は、北畠氏の城が戦国時代から江戸時代にかけてどのように発展していったのかを知ることができる貴重な城跡です。

一方、津城は織田信包や藤堂高虎によって近世城郭として整備され、伊勢国の政治・軍事の拠点として発展しました。

築城の経緯や城主は異なりますが、どちらも伊勢の歴史を語るうえで欠かせない名城です。 

両方を巡ることで、中世から近世へと移り変わる伊勢の城郭の歴史を、より立体的に感じられるでしょう。歴史好きの方は、ぜひあわせて訪れてみてください。

紘美(笑顔)
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[ 現地取材したレビュー記事 ]


宿泊施設

[ ビジネス旅館 ] 若草

津市で宿泊費を抑えたい方には、「ビジネス旅館 若草」がおすすめです。

館内や設備は昔ながらの旅館らしい雰囲気ですが、客室や浴場は清掃が行き届いており、「価格以上に快適だった」という口コミが多く見られました。

特に畳の香りが心地よい和室や、ゆったり入れる共同浴場は利用者から好評です。

また、女将さんやスタッフの親切で温かい接客も高く評価されており、初めて利用する方でも安心して宿泊できる宿として親しまれています。

バイクや車で訪れる方には無料駐車場が利用でき、屋根付きの駐車スペースが用意されている場合もあるため、ツーリング利用にも便利です。

宿泊料金がリーズナブルでありながら、Wi-Fiやタオルなど必要な設備が揃っているほか、宿泊者向けの朝食も手頃な価格で利用でき、コストパフォーマンスの高さが魅力となっています。

一方で、エレベーターがないため上階へは階段で移動する必要があり、高齢の方や大きな荷物を持っている方は注意が必要です。

また、トイレや浴場は共同利用で、客室によっては冷蔵庫や洗面台が備わっていないため、ホテル並みの設備を求める方にはやや物足りなく感じるかもしれません。

それでも、「宿泊費を抑えながら清潔な和室でゆっくり休みたい」という方には十分満足できる旅館です。

観光やビジネスで津市を訪れる際の宿泊先として、有力な選択肢の一つといえるでしょう。

紘美(笑顔)
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[ ビジネスホテル ] Tabist たつみビジネスホテル 松阪

Tabist たつみビジネスホテル 松阪は、松阪駅周辺でリーズナブルに滞在したい方に向いた、実用性の高い宿です。
観光やビジネス、ツーリングの拠点として利用しやすく、コストパフォーマンスを重視する旅行者から注目されています。

立地は松阪駅から徒歩圏内にあり、駅周辺の飲食店や買い物スポットにもアクセスしやすいのが魅力。
住宅街に位置するため比較的静かで、落ち着いて過ごしやすい環境も特徴です。

客室では和室タイプが印象的で、畳の落ち着いた雰囲気の中でくつろげる点も魅力。
特に寝具の快適さを評価する声が見られ、厚みのあるマットレスや布団でゆっくり休めることは、旅の疲れを癒やすポイントになりそうです。

また、冷蔵庫や電子レンジ、湯沸かしポットなど、長めの滞在にも便利な設備が整っているのも特徴。
必要なものがコンパクトに揃っており、“過不足なく快適”という印象を持つ人も多いようです。

豪華な観光ホテルではありませんが、清潔感や実用性を重視した宿として評価されており、「泊まること」に重点を置く旅には相性がよさそうです。

松阪観光の拠点として使う場合は、松坂城跡や御城番屋敷などの歴史スポット巡りとも組み合わせやすく、城下町散策にも便利です。

また、松阪といえば松阪牛でも知られるため、周辺グルメを楽しみつつ、宿泊費を抑えて旅全体のバランスを取るという使い方もできそうです。

華やかなリゾート型ではなく、実直で使い勝手の良い宿を探している方には、松阪観光の拠点候補として検討しやすい一軒といえるでしょう。

紘美(笑顔)
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[ ビジネスホテル ] キャッスルイン 津

津城周辺で宿泊先を探している方には、キャッスルイン津もおすすめです。

館内には無料で利用できる貸切風呂があり、家族や夫婦で周囲を気にせずゆったりと入浴できるのが大きな魅力です。

浴室は清掃が行き届いているという声も多く、観光やドライブで疲れた体をゆっくり癒やせます。

客室は落ち着いた雰囲気で、清潔感があり快適に過ごせます。

Wi-Fiも利用できるため、観光だけでなくビジネス利用にも便利です。また、スタッフの接客は丁寧で親切との評価が多く、細やかな気配りや柔軟な対応も宿泊者から高く評価されています。

立地の良さも魅力の一つです。ホテルのすぐ隣には24時間営業のスーパーマーケットがあり、コンビニやドラッグストア、ガソリンスタンドも徒歩圏内にそろっています。

夜食や飲み物、旅行中の買い足しにも困らず、長期滞在でも快適に過ごせるでしょう。

駐車場も利用できますが、混雑時には近隣の提携駐車場へ案内される場合があります。

そのため、車で訪れる場合は、少し早めのチェックインがおすすめです。

リーズナブルな宿泊料金に加え、貸切風呂や充実した周辺環境、温かみのある接客が魅力のホテルです。

津城観光はもちろん、伊勢神宮や松阪方面を巡る三重旅行の拠点としても利用しやすい宿泊施設といえるでしょう。

紘美(笑顔)
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