2025年10月22日に三重県度会郡玉城町にある「続日本100名城」に選ばれている田丸城へ取材に行ってきました!
この記事では、田丸城の見どころが隅々までわかる記事になっています!
ぜひ、この記事を読んであなたも三重県を代表する日本の名城で有名な「田丸城」を訪れてみてくださいね!
田丸城について
田丸城の概要

田丸城は、三重県度会郡玉城町にある平山城で、南北朝時代の延元元年(1336年)に北畠親房が南朝方の拠点として築いたと伝えられています。
その後は北畠氏や田丸氏が城主を務め、戦国時代には織田信長の伊勢侵攻によって織田信雄が入城し、大規模な改修が行われました。
安土桃山時代から江戸時代にかけては田丸直昌や稲葉氏、紀州徳川家の家老・久野氏へと受け継がれ、時代ごとに修築や整備が重ねられました。
しかし、天守は火災や老朽化によって失われ、明治時代の廃城令により城門などの建物も解体されました。
現在は本丸や二の丸へ続く美しい石垣や堀が良好な状態で残り、国の史跡にも指定されています。
春には桜の名所としても知られ、城跡を散策しながら戦国時代から江戸時代にかけての歴史を感じられる、玉城町を代表する歴史スポットになっています。
田丸城は、南北朝時代から江戸時代まで約500年にわたって使われ続けた城だワン!
そのため、一つの時代だけでなく、中世城郭から近世城郭へと変化していく過程を実際に歩きながら体感できる、全国でも貴重な城跡となっているワン。
田丸城の歴史
[ 南北朝時代 ] 北畠親房が築いた南朝の拠点

田丸城が築かれた14世紀は、日本が南朝と北朝の二つの朝廷に分かれて争った「南北朝時代」の始まりでした。
建武の新政を進めた後醍醐天皇は、武士の不満を背景に足利尊氏が離反したことで京都を追われ、奈良県の吉野に新たな朝廷(南朝)を開きます。
一方、足利尊氏は京都で北朝を擁立し、日本は約60年にわたる内乱の時代へと突入しました。
後醍醐天皇の側近として政治や軍事を担った北畠親房は、南朝勢力を維持するため各地に拠点を築くという重要な使命を担っていました。
伊勢国は伊勢神宮を擁する政治・宗教の要地であるとともに、紀伊や東国へ通じる交通の要衝でもあったことから、親房は延元元年(1336年)に現在の玉城町へ田丸城を築き、南朝方の拠点としました。
しかし、伊勢国は南朝・北朝の双方にとって重要な地域であったため、田丸城はたびたび激しい攻防の舞台となります。
そして興国3年(1342年)、足利方の伊勢守護・仁木義長の軍勢によって落城しました。
北畠氏はその後、本拠を多気へ移しますが、田丸城は再び北畠氏の支配下に戻り、やがて一族の田丸氏が城主を務めるようになります。
以降、田丸城は南伊勢支配の重要拠点として発展し、後の戦国時代に織田信雄によって大規模な改修が行われる礎となりました。
田丸城が築かれた場所は、伊勢神宮に近く、紀伊半島や東国へ向かう交通の要衝でもあったワン!
つまり、単なる「地方の城」ではなく、南朝が伊勢を支配するための重要な戦略拠点として築かれた城だったのだワン。
現在の田丸城は石垣が印象的ですが、北畠親房が築いた当初は土塁や堀を中心とした中世城郭だったワン。
現在見られる立派な石垣の多くは、約240年後の戦国時代に織田信雄が近世城郭へ大改修した際に整備されたものだワン。
[ 戦国時代後期 ] 織田信雄による近世城郭への大改修

約60年にわたって続いた南北朝時代は、1392年(明徳3年)に南朝と北朝が統一されて終結しました。
その後も北畠氏は伊勢国司として伊勢南部を支配し続け、田丸城も一族の重要な拠点として受け継がれます。
室町時代から戦国時代にかけて勢力を維持した北畠氏は、伊勢を代表する戦国大名へと成長していきました。
しかし16世紀後半になると、尾張の戦国大名・織田信長が天下統一を目指して勢力を拡大します。
伊勢国は畿内と東国を結ぶ交通の要衝であり、伊勢神宮を擁する重要な地域でもあったことから、信長は伊勢攻略に乗り出しました。
永禄10年(1567年)から始まった伊勢侵攻では、信長は武力だけでなく外交戦略も巧みに活用します。
永禄12年(1569年)、次男・織田信雄を北畠具教の養子とし、北畠家の家督を継がせることで両家は和睦しました。
当時の北畠氏は約200年にわたり伊勢国司を務めた名門であり、信長にはその権威を利用しながら伊勢支配を進める狙いがあったと考えられています。
ところが、和睦後も織田氏による実権掌握は進められていきます。
そして天正4年(1576年)、隠居していた北畠具教が三瀬館で襲撃され命を落とす「三瀬の変」が発生しました。
同日には田丸城でも北畠一族や重臣らが討たれたとされ、この事件によって南北朝時代から伊勢南部を支配してきた北畠氏は事実上滅亡します。
これにより、伊勢国は完全に織田氏の支配下へ組み込まれることになりました。
天正3年(1575年)に田丸城へ入城した信雄は、中世城郭だった田丸城を近世城郭へと大規模に改修します。
三層の天守が築かれ、本丸の出入口には敵の侵入を妨げる「枡形」が設けられるなど、防御力を大幅に向上させました。
枡形は敵の進行方向を直角に折り曲げることで動きを制限し、側面から攻撃する「横矢」を効果的に行える構造で、当時としては先進的な防御技術が採用されていました。
こうして田丸城は北畠氏の居城から、織田氏による伊勢支配の重要拠点へと生まれ変わります。
しかし、その壮麗な姿は長く続きませんでした。
天正8年(1580年)、金奉行の玄智が金銀を盗み、その証拠を隠すため火薬庫へ放火したことで大火災が発生します。
この火災によって三層天守をはじめとする主要な建物が焼失し、信雄は新たな居城として松ヶ島城へ移ることになりました。
信雄が田丸城を拠点とした期間はわずかでしたが、この時代に田丸城は中世の城から近世城郭へと大きく発展しました。
現在残る石垣や縄張りにも、その転換期の面影を見ることができます。
田丸城は約650年以上の歴史を持つ城跡だワン!
現在は建物こそ残っていませんが、各時代の城主による改修の積み重ねによって、美しい石垣や縄張りが現在まで受け継がれているワン!
城跡を歩く際は、「どの時代に造られた遺構なのか」を意識すると、より歴史の流れを感じながら見学できるワン。
【安土桃山時代~江戸時代初期】田丸直昌と稲葉氏による再建

天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長が明智光秀の襲撃を受けて自害すると、日本の情勢は大きく揺れ動きます。
信長亡き後、織田家では後継者を決めるため清須会議が開かれ、信長の嫡孫・三法師(後の織田秀信)が家督を継ぐことが決まりました。
しかし、その後は羽柴秀吉が織田家中で急速に勢力を拡大したことで、織田家内部の対立は次第に深まっていきます。
やがて天正12年(1584年)、織田信雄は徳川家康と同盟を結び、羽柴秀吉との間で「小牧・長久手の戦い」が勃発しました。
全国の大名や武将たちは、信雄・家康方と秀吉方のどちらにつくかという選択を迫られ、伊勢国もその争いの舞台となります。
このとき、北畠氏の一族である田丸直昌は織田信雄ではなく羽柴秀吉に味方しました。
直昌は秀吉方の武将・蒲生氏郷とともに行動し、信雄の居城であった松ヶ島城の攻略に参加したと伝えられています。
小牧・長久手の戦いは、各地で激しい戦闘が繰り広げられたものの決着はつかず、やがて講和へと向かいます。
織田信雄は羽柴秀吉と単独で和睦し、同盟を結んでいた徳川家康も撤兵したことで戦いは終結しました。
この講和によって秀吉は織田家内部の対立を収束させ、天下統一へ向けて大きく前進します。
戦後、秀吉方として功績を挙げた蒲生氏郷は伊勢の領主となって松ヶ島城へ移り、田丸直昌は再び田丸城へ入城しました。
しかし、織田信雄の時代に火災で焼失した天守や城郭を、直昌がどこまで復旧したのかは明らかになっていません。
現存する史料が少なく、当時の再建状況には不明な点も多く残されています。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は小田原征伐を終えて全国統一をほぼ成し遂げると、大規模な領地替えを実施しました。
その一環として蒲生氏郷と田丸直昌は奥州へ移封となり、田丸城には稲葉重道が城代として入ります。
その後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に属して戦功を挙げた稲葉道通が田丸城主となりました。
道通は田丸城の大規模な整備を進めた人物として知られています。
伝承によれば、それまでの居城だった岩出城を廃城とし、城門や櫓などの建物に加え、石垣の石材の一部も田丸城へ移したとされています。
この改修によって城の防御力や機能はさらに高まり、田丸城は近世城郭としての姿をより充実させていきました。
現在、田丸城跡に残る壮大な石垣の多くは、この時代の改修によって整えられたと考えられています。
戦乱の時代を乗り越えながら築き上げられたこれらの遺構は、田丸城が歩んできた歴史を今に伝える貴重な文化遺産となっています。
田丸城は、一度完成して終わった城ではなく、戦乱や領主交代のたびに修築・整備が繰り返された「成長する城」だったワン。
現在残る石垣は、その長い歴史の積み重ねを物語る貴重な遺構であり、田丸城跡最大の見どころの一つとなっているワン!
[ 現在 ] 紀州徳川家の支配と現在に残る田丸城跡

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は小田原征伐を終えて全国統一をほぼ成し遂げ、日本初の全国統一政権を築きました。しかし、慶長3年(1598年)に秀吉が亡くなると、幼い豊臣秀頼を支える体制は次第に不安定となり、政権内部では有力大名たちの対立が深まっていきます。
そして慶長5年(1600年)、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍による「関ヶ原の戦い」が勃発しました。この戦いは、豊臣政権の主導権をめぐる争いであると同時に、日本の天下を決める戦いでもありました。戦いはわずか一日で東軍が勝利し、家康は1603年に征夷大将軍へ任命されて江戸幕府を開きます。こうして日本は約260年にわたる江戸時代へと移り変わりました。
関ヶ原の戦いで東軍として戦功を挙げた稲葉道通は、戦後に田丸城主となります。道通は田丸城の大規模な整備を進めた人物として知られ、伝承によれば、それまでの居城だった岩出城を廃城とし、城門や櫓などの建物に加え、石垣の石材の一部も田丸城へ移したとされています。この改修によって田丸城は防御力をさらに高め、近世城郭としての姿を完成させていきました。
その後、元和3年(1617年)に田丸は津藩主・藤堂高虎の領地となり、さらに元和5年(1619年)には紀州徳川家の領地へ編入されます。紀州徳川家は、田丸城を伊勢南部の重要拠点として位置付け、家老である久野氏に城の管理を任せました。初代・久野宗成から9代・久野宗熙まで、およそ250年にわたり代々城主(城代)として田丸城を守り続け、この時代の田丸城は戦の拠点から行政や地域統治の中心へと役割を変えていきます。
しかし、長い平和の時代は城の老朽化も進めました。久野氏は風雨や地震によって傷んだ石垣の修復を幾度となく行い、城の維持に努めます。それでも、慶安2年(1649年)には激しい暴風雨によって三層の天守が倒壊したことが記録に残されており、その後、天守が再建されることはありませんでした。
19世紀半ばになると、日本は欧米列強の来航によって大きな転換期を迎えます。開国を迫られた江戸幕府は国内外への対応に苦慮し、政治改革を求める機運が全国で高まりました。1867年には15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷へ返上する「大政奉還」を行い、その後の戊辰戦争を経て明治政府が誕生します。こうして約260年続いた江戸幕府は幕を閉じ、日本は近代国家として新たな時代を歩み始めました。
明治4年(1871年)の廃藩置県に伴い、田丸城も城としての役割を終えます。城門や櫓をはじめとする城郭建築は順次解体・処分され、南北朝時代から約535年にわたって地域を見守り続けた城は、その長い歴史に幕を下ろしました。
現在の田丸城跡には、本丸や二の丸を囲む壮大な石垣や堀が良好な状態で残され、戦国時代から江戸時代にかけて築かれた縄張りを今も間近に見ることができます。また、城内にあった富士見門や、紀州藩家老・久野家の居館だった奥書院も現存し、往時の面影を今に伝えています。
春には約300本の桜が咲き誇り、「続日本100名城」にも選ばれている田丸城跡は、歴史と自然が調和する玉城町を代表する観光名所です。南北朝時代から戦国時代、江戸時代、そして現代へと受け継がれてきた田丸城は、日本の歴史の移り変わりを静かに見守り続ける貴重な史跡として、多くの人々を迎えています。
現在の田丸城跡には天守や城門は残っていませんが、石垣や堀、縄張りなどの遺構は良好な状態で保存されているワン!
現地を歩く際は、約650年にわたる歴史の中で築き上げられた城の姿を思い浮かべながら散策すると、当時の城の規模や役割をより身近に感じることができるワン。
田丸城の見どころ
田丸城の案内板(MAP)


上の写真は、田丸城入口に設置されている案内板です。
現在の田丸城跡は、敷地の東側に玉城町立玉城中学校が隣接しており、本丸へ向かう入口も中学校の正門付近にあります。
私が訪れたのは、ちょうど中学生の下校時間でした。
生徒たちとすれ違いながら本丸虎口へ向かうと、学校と城跡が自然に共存している田丸城ならではの風景を目にすることができました。
本丸までは舗装された緩やかな坂道が続いています。田丸城は平山城のため、山城のような急勾配は少なく、体力に自信がない方でも比較的歩きやすい城跡です。
坂を登り本丸へ入ると、舗装路は終わり、芝生や土が広がる開放的な空間になります。
当時の本丸跡を歩きながら、往時の城の規模を感じることができます。
一方で、天守台へ続く石垣の階段は傾斜が急で、足場も不規則です。
現在も手すりや転落防止柵が設置されていないため、雨天時や足腰に不安のある方、小さなお子さま連れの方は無理をせず、安全に十分注意して見学することをおすすめします。
富士見門(長屋門)


上の写真は、田丸城跡に現存する「富士見門(長屋門)」です。
現在は門だけが建っているため少し不思議な印象を受けますが、江戸時代中期には門の両側に長屋が接続しており、その構造から「長屋門」とも呼ばれています。
当時は門番の詰所や武具の保管場所などとして利用されていたと考えられています。
江戸時代の田丸城には、大手門をはじめ複数の城門が設けられていました。
しかし、明治維新後の廃城に伴い、多くの建物は解体されてしまいます。
そのような中、この富士見門は当時の姿を現在まで伝える数少ない現存建築の一つであり、田丸城の歴史を物語る貴重な文化財となっています。
門の前に立つと、紀州徳川家の家老・久野氏が治めていた江戸時代の田丸城の雰囲気を感じることができるでしょう。
富士見門は、大手門跡から本丸虎口へ向かう道の途中にあります。
現在は玉城町立玉城中学校の通学路にもなっており、歴史ある城門と学校が共存する、田丸城ならではの景観を見ることができます。
富士見門は、田丸城跡に現存する数少ない江戸時代の建造物のため、訪れた際にはぜひ近くから細部まで観察してみてください。
柱や屋根の造りからも、当時の城門建築の特徴を感じることができます。
本丸虎口




上の写真は、田丸城跡にある本丸虎口です。
「虎口(こぐち)」とは城の出入口のことで、敵の侵入を防ぐために石垣や門、堀などを組み合わせて造られた防御施設を指します。
城の中でも特に重要な防衛拠点であり、攻め込む敵を食い止めるためのさまざまな工夫が施されていました。
田丸城の本丸虎口は、織田信雄による大改修によって防御性が大きく向上しました。
敵が本丸へ一直線に進めないよう通路を直角に折り曲げる構造となっており、現在もその特徴を確認することができます。
敵は曲がり角で進行方向を変える際に隊列が乱れ、一瞬横を向くことになります。
その隙を狙って、城兵は石垣の上や門の周囲から弓や鉄砲で「横矢(よこや)」と呼ばれる側面攻撃を仕掛けました。
正面だけでなく横からも攻撃を受けるため、敵は大きな損害を受けながら前進しなければなりませんでした。
また、田丸城の本丸虎口は、後の近世城郭で広く採用される「枡形虎口」の原型を思わせる構造を備えているとされています。
一般的な枡形虎口では、門を二重に設けて敵を狭い空間へ誘い込み、前後の門を閉じることで逃げ場を失わせます。
そして、石垣や櫓の上から四方へ集中攻撃を加えることで、少ない兵力でも効率よく城を守ることができました。
北畠氏時代の田丸城は中世の山城でしたが、信雄による改修によって石垣や虎口などの防御施設が整備され、近世城郭へと大きく発展しました。
本丸虎口は、その変化を現在に伝える代表的な遺構の一つです。
実際に虎口を歩いてみると、通路の折れ曲がりや石垣の配置から、戦国時代の築城技術がいかに緻密に考えられていたのかを体感できます。
田丸城を訪れた際は、単に城の入口として通り過ぎるのではなく、敵を迎え撃つために設計された防御施設という視点で見学すると、その魅力をより深く感じられるでしょう。
石垣




上の写真は、田丸城跡に残る石垣です。
田丸城跡を訪れると、まず目を引くのが城内各所に残る壮大な石垣です。
天守などの建物は現存していませんが、高く積み上げられた石垣からは、かつての城の規模や堅固な防御力を感じることができます。
田丸城の石垣は、野面積み(のづらづみ)・打込接ぎ(うちこみはぎ)・切込接ぎ(きりこみはぎ)という3種類の石積みが混在していることが大きな特徴です。
これは、南北朝時代の築城以来、織田氏や稲葉氏、紀州徳川家によって何度も改修や修復が行われてきたためです。
そのため、城内を歩く場所によって石積みの技法が異なり、時代ごとの築城技術の変化を観察できる貴重な城跡となっています。
最も古い工法である野面積みは、自然石をほとんど加工せずに積み上げる方法で、北の丸周辺などで見ることができます。
石と石の隙間が比較的大きく、素朴ながらも力強い印象を受けます。
一方、打込接ぎは石をある程度加工して隙間を少なくした工法です。
野面積みよりも石垣全体が整った印象となり、本丸虎口付近などで確認できます。
さらに、切込接ぎは石を精密に加工し、隙間がほとんどできないよう積み上げた工法です。
城内の一部で見ることができ、近世城郭の高度な石垣技術を今に伝えています。
田丸城では、こうした異なる時代の石積みを一度の散策で見比べられるのも大きな魅力です。
石垣をじっくり観察しながら歩くことで、約700年にわたり城が受け継がれ、改修されてきた歴史をより身近に感じることができるでしょう。
天守跡





上の写真は、田丸城跡の天守跡です。
天守跡は城跡の中で最も高い場所に位置しており、田丸城を代表する見どころの一つです。
現在は建物こそ残っていませんが、この場所に立つと、かつて天守がそびえ立っていた頃の姿を想像することができます。
織田信雄が田丸城を大改修した天正3年(1575年)には、この場所に三層の天守が築かれたと伝えられています。
残念ながら天正8年(1580年)の火災によって焼失し、その後再建された天守も慶安2年(1649年)の暴風雨で倒壊しました。
しかし、天守台は現在まで良好な状態で残されており、田丸城の歴史を今に伝える貴重な遺構となっています。
この天守台は、内部に穴蔵(あなぐら)を備えた古い形式の構造で、南側には付櫓(つけやぐら)が設けられていたと考えられています。
天守台は高さ約4m、東西約17m、南北約18mのほぼ正方形をしており、付櫓台の石垣や石段には近世以降の改修の痕跡を見ることができます。
天守台へは石垣の階段を登って見学できますが、階段は急勾配で足場も不規則なため、歩きやすい靴で十分注意して登ることをおすすめします。
天守台の上からは360度の景色が広がり、田園風景や玉城町の街並みを一望できます。
城主も同じようにこの景色を眺めていたのかと思うと、歴史のロマンを感じずにはいられません。
私が訪れた日はあいにくの雨で遠くまで見渡すことはできませんでしたが、それでも周囲を見下ろす高さから田丸城の立地の良さを実感できました。
晴れた日には、伊勢平野を望む美しい景色が広がり、田丸城屈指の絶景スポットとして楽しめるでしょう。
田丸城模型(村山龍平記念館内)





上の写真は、村山龍平記念館に展示されている田丸城跡の模型です。
この模型は、田丸城跡公園の東側に隣接する村山龍平記念館の2階に展示されています。
模型には、現在の田丸城跡に残る石垣や曲輪(くるわ)、堀などの遺構が忠実に再現されており、城跡全体の縄張りや地形を立体的に見ることができます。
実際に城跡を歩くだけでは把握しにくい本丸・二の丸・北の丸などの位置関係も一目で分かるため、散策前後に見学すると田丸城の構造への理解がより深まります。
また、館内には田丸城天守の復元模型も展示されており、現在は天守台だけが残る田丸城に、かつてどのような天守が建っていたのかを想像することができます。
城跡の模型と合わせて見学することで、「現在の姿」と「往時の姿」の両方を比較しながら楽しめるのも魅力です。
村山龍平記念館は、朝日新聞社の創業者として知られる村山龍平の功績を紹介する施設でもあります。
村山龍平は嘉永3年(1850年)、紀州藩田丸城代・久野家に仕える武士の家に生まれました。
館内では、新聞事業に尽力した足跡だけでなく、田丸との深いゆかりについても知ることができます。
田丸城跡を訪れた際は、城跡の散策とあわせて村山龍平記念館にも立ち寄ることで、田丸城の縄張りや歴史をより深く理解できるでしょう。
[ 🎁 読者プレゼント ] 無料フォト プレゼント
私が撮影した写真を、以下に読者の方が無料でダウンロードできるように公開しています。
写真をタップして、ぜひダウンロードページからダウンロードしてくださいね✨
また、以下の写真1枚ダウンロードにつき、1円がユニセフに寄付され、飢餓・難民・貧困の子供達の栄養治療食に使われます。
読者プレゼント写真の利用可能範囲は、以下の利用規約にてご確認ください。
[ 動画で見る ] 田丸城
上の動画では、田丸城跡を実際に散策した様子をご紹介しています。
城跡の雰囲気や見どころを映像で確認できるので、これから訪れる方の予習や、現地を歩いた気分を味わいたい方にもおすすめです。
田丸城の入口は、三の丸にある玉城町立玉城中学校の正門前にあります。
入口には「本丸虎口跡」と書かれた案内板が設置されており、ここから本丸を目指して登城します。
本丸までは緩やかに舗装された坂道が続いています。
田丸城は平山城のため、山城のような急な登り坂は少なく、比較的歩きやすいのが特徴です。
しばらく進むと、正面に北の丸が見えてきます。北の丸には、五穀豊穣や商売繁盛を願う城山稲荷社が鎮座しており、静かな雰囲気の中で参拝することができます。
さらに本丸へ向かう道を進むと、本丸門跡を通って本丸へ入ります。
本丸は舗装されておらず、土や芝生が広がる開放的な空間となっており、城跡ならではの落ち着いた景観を楽しめます。
本丸の北側には天守跡があり、現在も天守台へ登ることができます。
天守台へ続く石段は自然石を利用した不規則な造りで、手すりや転落防止柵は設置されていません。
見学の際は歩きやすい靴を着用し、足元に十分注意して登りましょう。
天守台の上からは、田丸の町並みや周辺の田園風景を一望できます。
撮影当日はあいにくの雨模様でしたが、それでも天守台が城内で最も高い場所にあることを実感できました。
晴れた日には、さらに開放感のある美しい景色を楽しめるでしょう。
天守跡を後にして南側へ進むと二の丸に到着します。
二の丸南側には富士見台跡があり、その東隣には二の丸虎口が残されています。
この周辺には美しく積み上げられた石垣が残り、田丸城の高い築城技術を間近で見ることができます。
動画では、こうした田丸城の見どころを実際の散策ルートに沿って紹介しています。
写真だけでは伝わりにくい城跡の広さや石垣の迫力、周囲の雰囲気も感じられますので、田丸城を訪れる前にぜひご覧ください。
田丸城の多目的トイレ
田丸城の本丸虎口前の多目的トイレ


田丸城跡を訪れる際に利用できる多目的トイレをご紹介します。
多目的トイレは、玉城町立玉城中学校正門の南側、本丸虎口入口のすぐ近くに設置されています。
登城前や散策後に利用しやすい場所にあるため、安心して田丸城を見学できます。
入口から室内までは段差がなく、車椅子やベビーカーでもスムーズに入室できるバリアフリー設計となっています。
室内も十分な広さが確保されており、方向転換や移動もしやすい印象でした。
トイレは洋式便器を採用しており、便座の左右には手すりが設置されています。
車椅子をご利用の方が便座へ移乗しやすい構造となっており、一人でも利用しやすいよう配慮されています。
一方で、温水洗浄便座(ウォシュレット)は設置されていません。
必要な方は、「トイレに流せる」と表示されたウェットティッシュなどを持参すると安心です。
なお、流せないタイプのウェットティッシュは配管詰まりの原因となるため、絶対に流さないようにしましょう。
また、私が訪れた時点では、サニタリーボックスやおむつ用ごみ箱は設置されておらず、設備は便器と洗面台を中心としたシンプルな造りでした。
利用を予定されている方は、必要なものをあらかじめ準備しておくと安心です。
田丸城周辺にはトイレの数が限られているため、本丸を散策する前に利用しておくと、ゆっくりと城跡見学を楽しめるでしょう。
ペット同伴

田丸城跡は、ペット同伴で散策することができます。
広い城跡を愛犬と一緒に散歩しながら、歴史ある景観を楽しめるのも田丸城の魅力の一つです。
ただし、見学の際は必ずリードを着用し、愛犬から目を離さないようにしましょう。
また、排泄物は必ず持ち帰り、周囲の利用者や地域住民への配慮を忘れないことが大切です。
玉城町では、「道路や公園、畑、個人宅の庭先などがペットの排泄物で汚されるケースが増えています。」と注意喚起を行っています。
そのため、散策中はマナーを守り、排泄物の適切な処理を心掛けましょう。
田丸城跡は、地域の方々の生活の場にも隣接する歴史公園です。
一人ひとりがルールやマナーを守ることで、訪れる人も地域の方も気持ちよく過ごすことができます。
これからも多くの人が田丸城を安心して楽しめるよう、責任ある行動を心掛けながら散策を楽しみましょう。
田丸城の施設情報

以下に田丸城の施設情報を掲載しておきます。
- 営業時間:24時間 年中無休
- 入城料:無料
アクセス
車でのお越しの場合

車でお越しの方は、玉城町役場の駐車場を利用することができます。
駐車場情報は以下の通りです。
- 営業時間:24時間
- 駐車料金:無料
- 駐車台数:55台ほど
- イベント時:休日は混雑しやすいため注意
町役場駐車場が満車で利用できない場合は、田丸城本丸虎口前(玉城中学校正門前)の田丸城址虎口前駐車場の駐車場(5台ほど)を使うこともできます。
バイクでのお越しの場合

車でお越しの方は、玉城町役場の駐輪場を利用することができます。
駐車場情報は以下の通りです。
- 営業時間:24時間
- 駐車料金:無料
- 駐車台数:10台ほど
- イベント時:休日は混雑しやすいため注意
町役場駐輪場が満車で利用できない場合は、田丸城本丸虎口前(玉城中学校正門前)の田丸城址虎口前駐車場の駐車場(5台ほど)を使うこともできます。
交通機関でのお越しの場合
交通機関でお越しの方は、田丸城駅にてお越しいただけます。
交通機関情報は以下の通りです。
- [ JR東海 ] 参宮線「田丸駅」下車→徒歩15分
記念品・お土産
記念品
御城印


田丸城を訪れた際に、ぜひチェックしておきたいのが「御城印」です。
観光の記念として人気が高く、城巡りを楽しむ方にとってはコレクション要素のあるアイテムとしても知られています。
御城印とは、城名やゆかりのある武将の名前、家紋などが記された記念の印で、神社やお寺の御朱印のように、訪れた証として集める人が増えています。
近年では各地の城で独自のデザインが用意されており、その城ならではの個性を楽しめるのも魅力です。
田丸城の御城印は、村上龍平記念館にて用意されています。
村上龍平記念館の営業時間は、9:00〜16:30です。
御城印料金は、
- 通常版:300円
田丸城の御城印は、季節に合わせて4種類用意されていて、旅の思い出としてはもちろん、コレクションとしても楽しめる御城印は、登城の記念にぜひ手に入れておきたいアイテム
御城印をコレクションしようと思っている方へ
御城印をコレクションする大切なものとして「御城印帳」があります。
あなたのセンスにピッタリな御城印帳と出会えるお手伝いとして、すぐ手に入る御城印帳を以下の記事にまとめました。
ぜひ、以下の記事であなたのお気に入りの御城印帳を見つけて日本全国のお城を巡ってみてください!
続日本100名城スタンプ


田丸城を訪れた際に、御城印とあわせてぜひチェックしておきたいのが「日本続100名城スタンプ」です。
城巡りを楽しむ方にとっては定番の記念アイテムで、訪問の証として人気があります。
田丸城は、日本全国にある数多くの城の中から選ばれた「日本続100名城」のひとつに数えられています。
この選出は、日本の代表的な名城を選定し、その歴史や文化を広く伝えることを目的としたもので、選ばれるのはわずか100城のみです。
日本続100名城スタンプとは、各城に設置されている専用の記念スタンプで、専用のスタンプ帳に押して集めていく楽しみ方が一般的です。
城ごとにデザインが異なり、その城の特徴や象徴が表現されているため、コレクション性が高いのも魅力です。
田丸城でもスタンプが設置されており、登城の記念として気軽に楽しむことができます。
すでにスタンプ帳を持っている方はもちろん、これから集めてみたいという方にとっても、旅の楽しみを広げてくれるきっかけになるはずです。
田丸城の続100名城スタンプは、村上龍平記念館にて用意されています。
村上龍平記念館の営業時間は、9:00〜16:30です。
御城印とあわせて集めることで、より思い出に残る観光体験になるため、訪れた際は忘れずにチェックしておくのがおすすめです。
日本100名城記念スタンプをコレクションしようと思っている方へ
100名城記念スタンプをコレクションする大切なものとして「100名城スタンプ帳」があります。
スタンプ帳は、公益財団法人 日本城郭協会の公式スタンプ帳があるので、こちらもお忘れなく。
スタンプ帳は、以下からAmazon(ネット通販)にて手に入れれます。
ぜひ、日本の多数のお城の中から選び抜かれた名城200城をスタンプ帳と共に巡ってみてくださいね。
お土産
伊勢茶
伊勢茶は、三重県を代表する特産品のひとつで、古くから地域の食文化とともに親しまれてきたお茶です。
温暖な気候や豊かな自然に恵まれた環境で育まれ、コクのある味わいとやさしい香りが魅力とされています。
伊勢茶は、旨みとほどよい渋みの調和が特徴ともいわれ、濃厚さの中にもまろやかさを感じられるのが魅力です。
煎茶やかぶせ茶、玉露など種類も幅広く、なかでもかぶせ茶は上品な甘みとやわらかな口当たりで人気があります。
お茶づくりでは、土づくりから栽培、摘み取り、製茶まで、多くの手間が重ねられています。
とくに茶葉は摘採の時期によって品質が左右されるため、生育状況を見極めながら最適なタイミングで収穫されることも、おいしさを支える要素のひとつとされています。
また、焙煎や仕上げによって香りや味わいに個性が生まれるのも日本茶の奥深さ。
伊勢茶も、生産者ごとに風味の違いを楽しめることがあり、飲み比べる面白さがあります。
観光の楽しみとしても、伊勢茶は魅力的な存在です。
地元の和菓子とともに味わえば、お茶の旨みがより引き立ち、三重ならではの食文化にも触れることができます。
旅先でその土地のお茶を味わうことは、風土を感じる楽しみのひとつともいえるでしょう。
近年は、健康成分として知られるカテキンやテアニンを含むことでも注目されていますが、それ以上に、地域に根差した文化としての価値も大きいお茶です。
三重を訪れた際は、史跡や自然景観だけでなく、こうした伊勢茶の魅力にも目を向けてみると、旅の楽しみがさらに広がるかもしれません。
※通販サイトリンク先は紹介店舗の商品ではありませんが、似たタイプの類似品です。
通販がないため、近い商品を掲載しています。
お城最中
田丸城を訪れたら、ぜひ味わっていただきたいお土産が、王花 吉祥庵(きっしょうあん)の「お城最中」です。
お城最中は、その名のとおり田丸城の天守をモチーフにした最中で、玉城町を代表する銘菓として長年親しまれています。
田丸城観光のお土産として人気が高く、地元の方はもちろん、遠方から訪れる観光客にも愛されている和菓子です。
現在は、
- お城最中(つぶあん)
- お城最中(きんかん入り)
- 姫もなか(白あん)
の3種類が販売されています。
定番のお城最中(つぶあん)は、小豆の風味を生かした上品な甘さが特徴です。
甘さは控えめで後味もすっきりしており、普段あんこが少し苦手という方でも食べやすいと評判です。
香ばしい最中の皮との相性も良く、お茶請けにもぴったりです。
中でも人気が高いのが、きんかん入りのお城最中です。
白あんのやさしい甘さの中に、きんかんの爽やかな風味とほどよい酸味がアクセントとなり、他ではあまり見かけない味わいを楽しめます。
玉城町らしい個性を感じられる一品として、多くの人に選ばれています。
一方の姫もなかは、なめらかな白あんを使用した上品な味わいが魅力です。
やさしい甘さで食べやすく、幅広い年代に親しまれています。
最中は一つひとつが食べやすい大きさで、甘さも控えめなため、ついもう一つ食べたくなる美味しさです。
家族や友人へのお土産にはもちろん、自分への旅の記念として購入するのもおすすめです。
田丸城の歴史を感じながら、お城の形をした最中を味わえば、旅の思い出がより印象深いものになるでしょう。
田丸城を訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
たい焼き
田丸城観光の後に立ち寄るなら、ぜひ味わいたいのが「たいやき わらしべ 本店」です。
玉城町を代表する人気店として知られ、地元の方だけでなく、伊勢神宮や熊野方面へ向かう観光客も多く訪れます。
わらしべのたい焼きは、注文を受けてから一つひとつ焼き上げるのが特徴です。
焼きたてならではの香ばしい香りが広がり、受け取った瞬間に思わずその場で食べたくなるほど。店内にはイートインスペースも用意されているため、焼きたてをゆっくり味わうこともできます。
定番のつぶあんは、北海道産小豆を使用した粒あんがたっぷり詰まっており、甘さは控えめ。粒感がしっかり残っているため、小豆本来の風味を楽しめます。生地とのバランスも良く、飽きのこない味わいです。
もう一つの魅力は、外は香ばしく、中はもっちりとした独特の生地です。
表面はパリッと焼き上げられていますが、中はほどよい弾力があり、時間が経っても美味しく食べられます。
生地そのものの美味しさを楽しめることから、中身の入っていない「あんなし」を選ぶ人もいるほどです。
定番のつぶあん以外にも、カスタードや伊勢茶、プリン、あんバター、ベーコンチーズなど、季節限定商品を含めてさまざまな種類が販売されています。
特に、あんことバターの塩味が絶妙に調和したあんバターや、伊勢ならではの風味を楽しめる伊勢茶たいやきは人気商品の一つです。
おすすめは、まず定番のつぶあんを味わうことです。
わらしべ自慢の生地と粒あんの美味しさを存分に楽しめるので、初めて訪れる方にぴったりです。
気になる方は、季節限定の商品や「あんなし」と食べ比べてみるのも面白いでしょう。
田丸城からもアクセスしやすく、観光帰りの食べ歩きやお土産にもおすすめのお店です。
焼きたてならではの香ばしいたい焼きを味わいながら、玉城町ならではのグルメもぜひ楽しんでみてください。
※通販サイトリンク先は紹介店舗の商品ではありませんが、派生店の類似品です。
通販がないため、食感が近い商品を掲載しています。
ランチ
[ 焼肉店 ] おさやん
田丸城観光の後に、少し贅沢なランチや夕食を楽しみたい方におすすめなのが、JR田丸駅近くにある「焼肉 おさやん」です。
店内は清潔感があり、ゆったりとした個室も用意されているため、家族連れやグループはもちろん、一人でも落ち着いて食事を楽しめます。
スタッフの接客も丁寧で、初めて訪れる方でも利用しやすい雰囲気のお店です。
焼肉には、店主が市場で目利きした和牛が使用されており、カルビや塩タン、ホルモンをはじめ、希少部位も味わえます。
肉本来の旨みを楽しめる上質な焼肉は、多くの利用者から高く評価されています。
一方で、おさやんを訪れたらぜひ味わいたいのが、隠れた人気メニューの「中華そば」です。
焼肉店でありながら、中華そばを目当てに訪れる人もいるほど評判が高く、鶏ガラをベースに野菜の甘みと牛の旨みが溶け込んだ、やさしい味わいのスープが特徴です。
あっさりとした中にもコクがあり、焼肉店ならではの旨みを感じられる一杯に仕上がっています。
ランチタイムには、中華そばと豚トロ丼やさいみそご飯のセットも人気です。
柔らかく旨みのある豚トロと、素朴で優しい味わいの中華そばは相性が良く、満足感のあるランチを楽しめます。
また、ガーリックカレーや季節限定メニューなど、焼肉以外にも気になる料理が揃っているため、何度訪れても新しい味に出会えるのも魅力です。
田丸城から車で数分、JR田丸駅からも徒歩圏内とアクセスしやすく、観光とあわせて立ち寄りやすいのも嬉しいポイントです。
田丸城観光の後は、焼肉はもちろん、焼肉店ならではの旨みが詰まった中華そばもぜひ味わってみてください。
[ お好み焼き屋 ] すいーとぴー
田丸城観光の後に、できたて熱々のお好み焼きを味わいたい方におすすめなのが、「お好み焼き すいーとぴー」です。
田丸城から車で数分の場所にあり、レンガ調のおしゃれな外観が目印。
広い駐車場も完備されているため、車での観光途中でも立ち寄りやすいお店です。
店内は明るく清潔感があり、どこか家庭的で落ち着いた雰囲気。
スタッフの温かい接客も評判で、ゆっくり食事を楽しめます。漫画本も用意されているため、料理を待つ時間も思い思いに過ごせます。
すいーとぴーの魅力は、大阪風お好み焼き・広島風お好み焼き・モダン焼き・焼きそばなど、多彩な鉄板料理を楽しめることです。
サイズを選んだあと、玉城豚や国産牛、エビ、チーズ、もち、コーン、青ねぎなど、豊富なトッピングを自由に組み合わせられるため、自分好みの一枚を注文できます。
お好み焼きは席で焼くスタイルではなく、お店で丁寧に焼き上げてから熱々の鉄板で提供されます。
ふんわりとした生地にキャベツの甘みがよく合い、たっぷりとかかったソースやマヨネーズ、かつお節、青のりが食欲をさらに引き立てます。
特に人気なのが、地元ブランド豚を使用した玉城豚のトッピングです。
ほどよい脂の甘みと旨みがお好み焼きによく合い、玉城町ならではの味覚を楽しめます。
また、広島風お好み焼きは、たっぷりのキャベツと焼きそばが重なり、ボリューム満点。
最後まで熱々のまま味わえるのも魅力です。
焼きそばも人気メニューの一つで、具材の旨みを生かした優しい味付けが特徴です。
ソースが濃すぎず素材の風味をしっかり感じられるため、お好み焼きと一緒に注文する人も少なくありません。
テイクアウトにも対応しているので、田丸城観光の帰りに購入して、自宅で旅の余韻を楽しむのもおすすめです。
田丸城周辺で、お好み焼きや鉄板料理を味わいたい方は、ぜひ「すいーとぴー」に立ち寄ってみてください。
[ 和カフェ ] 七十二候
田丸城を散策した後、ゆっくりとランチやカフェタイムを楽しみたい方におすすめなのが、JR田丸駅近くにある「七十二候(しちじゅうにこう)」です。
店名の「七十二候」は、日本の季節を約5日ごとに分けて表した暦に由来しており、その名前のとおり、季節の移ろいを料理や空間で感じられる和カフェとして親しまれています。
店内は木の温もりを感じる落ち着いた雰囲気で、大きな窓からは庭園の景色を眺めることができます。
席の間隔にもゆとりがあり、一人でもゆっくり過ごせるほか、友人や家族との食事にもぴったりです。
ランチは、季節の食材を取り入れた数量限定の月替わりランチや、彩り豊かな七十二候膳、華籠膳などが人気です。
小鉢を少しずつ楽しめる献立になっており、肉料理や魚料理、天ぷら、だし巻き玉子、季節の和え物など、さまざまな味を一度に味わえます。
雑穀米や茶碗蒸し、お吸い物、デザート、ドリンクが付くメニューもあり、見た目の華やかさだけでなく満足感も十分です。
料理は全体的に素材の持ち味を生かした優しい味付けが特徴で、幅広い年代の方に親しまれています。
数量限定メニューは早い時間に売り切れることも多いため、確実に味わいたい場合は事前予約がおすすめです。
カフェタイムには、和菓子や抹茶アイスなどの和スイーツも楽しめます。
季節に合わせた甘味が用意されていることもあり、ランチだけでなく、散策の休憩に立ち寄るのにもぴったりです。
また、店舗はJR田丸駅のすぐ近くに位置しており、田丸城からも徒歩圏内です。
観光の合間に立ち寄りやすく、歴史ある城下町の落ち着いた雰囲気を感じながら食事やカフェタイムを過ごせます。
田丸城観光のあとに、季節感あふれる和食と心地よい空間でゆったり過ごしたい方は、ぜひ「七十二候」を訪れてみてください。
周辺情報
観光地
松坂城
松坂城は、三重県松阪市の中心部に位置する歴史ある城跡で、現在は石垣が美しく残る公園として整備されています。
天守などの建物は現存していませんが、重厚感のある石垣と開放的な景観が魅力で、ゆったりと歴史散策を楽しめるスポットです。
この城は、戦国時代の武将であり商人としても知られる蒲生氏郷によって築かれました。
氏郷は城下町の整備にも力を入れ、現在の松阪の基盤を築いた人物とされています。
その後、紀州藩の支配下に入り、江戸時代を通じて地域の中心として機能しました。
松坂城の最大の見どころは、野面積みを中心とした力強い石垣です。
自然石を巧みに積み上げた石垣は迫力があり、場所によって異なる表情を見せてくれます。
特に本丸周辺の高石垣は見応えがあり、当時の築城技術の高さを感じることができます。
城跡は現在「松阪公園」として整備されており、四季折々の自然とともに散策を楽しめます。
春には桜が咲き誇り、花見スポットとしても人気があり、多くの人で賑わいます。
また、本丸跡からは松阪市内を一望でき、開放的な景色も魅力のひとつです。
さらに、城の周辺には歴史的な建物や資料館も点在しており、松阪の文化や歴史を深く知ることができます。
中でも、近くにある本居宣長記念館では、江戸時代の国学者・本居宣長に関する資料が展示されており、あわせて訪れることでより理解が深まります。
派手な天守こそありませんが、石垣の美しさと歴史の重みをじっくり味わえる松坂城は、落ち着いた城巡りを楽しみたい方におすすめのスポットです。
松阪牛グルメとあわせて訪れることで、観光の満足度をさらに高めてくれるでしょう。
北畠氏城館跡
北畠氏城館跡は、三重県津市美杉町に位置する中世の城館跡で、山麓の居館(館跡)と山上の詰城から構成される貴重な史跡です。
自然に囲まれた静かな環境の中で、中世武士の暮らしと防御の工夫を同時に感じられるスポットとして知られています。
この地は、南北朝時代から戦国時代にかけて勢力を持った北畠氏の本拠地であり、伊勢国の政治・軍事の中心として機能していました。
館跡は日常生活や政務を行う拠点、詰城は戦時に立てこもる防衛拠点という役割分担がされており、中世城郭の典型的な構造をよく残しています。
館跡の見どころとして特に有名なのが、美しく整備された日本庭園です。
池泉回遊式庭園として知られ、四季折々の風景が楽しめる落ち着いた空間となっています。
戦国期の遺構と庭園が共存している点は珍しく、歴史と景観を同時に味わえるのが魅力です。
一方、山上に位置する詰城は、本格的な山城としての構造が残っており、堀切や曲輪などの防御施設を確認することができます。
登城にはやや体力が必要ですが、その分、当時の緊張感や地形を活かした防御の工夫を実感できるのが特徴です。
また、この城館跡は国の史跡にも指定されており、保存状態の良さと歴史的価値の高さが評価されています。
観光地としての賑やかさは控えめですが、その分ゆったりとした時間の中で、じっくりと歴史に向き合うことができます。
自然の中で歴史を感じたい方や、山城に興味がある方にとっては、非常に見応えのあるスポットです。
伊賀や津方面の観光とあわせて訪れることで、より深い三重の歴史を体感できるでしょう。
津城
津城は、三重県津市の中心部に位置する歴史ある城跡で、現在は公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。
派手な天守は残っていないものの、石垣や堀といった遺構が良好に残っており、落ち着いた雰囲気の中で歴史を感じながら散策できるスポットです。
この津城は、戦国時代に織田信包によって築かれたのが始まりとされ、その後、築城の名手として知られる藤堂高虎が入城し、大規模な改修を行いました。
高虎によって整えられた石垣や堀は現在も見どころとなっており、実戦的で機能美を感じさせる城郭構造が特徴です。
城跡は現在「お城公園」として整備されており、四季折々の自然を楽しみながら気軽に散策できます。
春には桜の名所としても知られ、多くの人が訪れる人気スポットとなっています。
広々とした敷地で、歴史散策とリラックスを同時に楽しめるのも魅力です。
また、城の中心部には藤堂高虎の銅像が設置されており、津城の歴史を象徴する存在として訪れる人の目を引きます。
城の規模自体は大きすぎないため、短時間でも効率よく見て回れる点も観光には嬉しいポイントです。
津市の中心部に位置しているためアクセスも良く、周辺の観光やグルメとあわせて立ち寄りやすいスポットです。
華やかな天守こそありませんが、戦国から江戸へと続く歴史の流れを静かに感じられる、落ち着いた魅力を持つ城跡といえるでしょう。
宿泊施設
[ ビジネスホテル ] Tabist たつみビジネスホテル 松阪
Tabist たつみビジネスホテル 松阪は、松阪駅周辺でリーズナブルに滞在したい方に向いた、実用性の高い宿です。
観光やビジネス、ツーリングの拠点として利用しやすく、コストパフォーマンスを重視する旅行者から注目されています。
立地は松阪駅から徒歩圏内にあり、駅周辺の飲食店や買い物スポットにもアクセスしやすいのが魅力。
住宅街に位置するため比較的静かで、落ち着いて過ごしやすい環境も特徴です。
客室では和室タイプが印象的で、畳の落ち着いた雰囲気の中でくつろげる点も魅力。
特に寝具の快適さを評価する声が見られ、厚みのあるマットレスや布団でゆっくり休めることは、旅の疲れを癒やすポイントになりそうです。
また、冷蔵庫や電子レンジ、湯沸かしポットなど、長めの滞在にも便利な設備が整っているのも特徴。
必要なものがコンパクトに揃っており、“過不足なく快適”という印象を持つ人も多いようです。
豪華な観光ホテルではありませんが、清潔感や実用性を重視した宿として評価されており、「泊まること」に重点を置く旅には相性がよさそうです。
松阪観光の拠点として使う場合は、松坂城跡や御城番屋敷などの歴史スポット巡りとも組み合わせやすく、城下町散策にも便利です。
また、松阪といえば松阪牛でも知られるため、周辺グルメを楽しみつつ、宿泊費を抑えて旅全体のバランスを取るという使い方もできそうです。
華やかなリゾート型ではなく、実直で使い勝手の良い宿を探している方には、松阪観光の拠点候補として検討しやすい一軒といえるでしょう。
[ ビジネスホテル ] FLYCAT INN 伊勢
田丸城観光を楽しんだあと、伊勢市内まで移動して宿泊するなら、「FLYCAT INN 伊勢」は宿泊費を抑えたい方におすすめのホテルです。
宇治山田駅から徒歩約1分、伊勢市駅からも徒歩圏内にあり、伊勢神宮(外宮)や周辺の飲食店へもアクセスしやすい便利な立地にあります。
ホテルは無人チェックイン方式を採用しており、タブレットで手続きを行い、部屋の暗証番号を受け取って入室するシステムです。
フロントでの待ち時間がなく、自分のペースでチェックイン・チェックアウトができるため、観光やビジネスで時間を有効に使いたい方にも向いています。
客室はコンパクトながら、ベッドやシャワールーム、冷蔵庫、電気ケトル、ドライヤーなど、宿泊に必要な設備がひと通り揃っています。
室内は清掃が行き届いており、清潔感があるという声が多く見られました。
動画配信サービスに対応したテレビも備えられているため、夜は映画や動画を楽しみながらゆっくり過ごすこともできます。
一方で、防音性についてはやや気になるという意見もあり、隣室や廊下の音が聞こえる場合があります。
そのため、客室には耳栓が用意されており、音が気になる方への配慮も感じられます。
客室は比較的コンパクトな造りのため、一人旅や「寝る場所を確保したい」という旅行スタイルに特に適しています。
反対に、大きな荷物が多い方や、部屋でゆったり食事やデスクワークをしたい方は、少し手狭に感じるかもしれません。
宿泊料金は比較的リーズナブルで、駅近という立地を考えるとコストパフォーマンスは高く、「宿泊費を抑えて観光を充実させたい」という方にはぴったりのホテルです。
田丸城から伊勢神宮までは車で約20分ほどとアクセスも良いため、田丸城と伊勢神宮をあわせて巡る旅行の宿泊先として利用するのもおすすめです。
[ ビジネス旅館 ] 若草
津市で宿泊費を抑えたい方には、「ビジネス旅館 若草」がおすすめです。
館内や設備は昔ながらの旅館らしい雰囲気ですが、客室や浴場は清掃が行き届いており、「価格以上に快適だった」という口コミが多く見られました。
特に畳の香りが心地よい和室や、ゆったり入れる共同浴場は利用者から好評です。
また、女将さんやスタッフの親切で温かい接客も高く評価されており、初めて利用する方でも安心して宿泊できる宿として親しまれています。
バイクや車で訪れる方には無料駐車場が利用でき、屋根付きの駐車スペースが用意されている場合もあるため、ツーリング利用にも便利です。
宿泊料金がリーズナブルでありながら、Wi-Fiやタオルなど必要な設備が揃っているほか、宿泊者向けの朝食も手頃な価格で利用でき、コストパフォーマンスの高さが魅力となっています。
一方で、エレベーターがないため上階へは階段で移動する必要があり、高齢の方や大きな荷物を持っている方は注意が必要です。
また、トイレや浴場は共同利用で、客室によっては冷蔵庫や洗面台が備わっていないため、ホテル並みの設備を求める方にはやや物足りなく感じるかもしれません。
それでも、「宿泊費を抑えながら清潔な和室でゆっくり休みたい」という方には十分満足できる旅館です。
観光やビジネスで津市を訪れる際の宿泊先として、有力な選択肢の一つといえるでしょう。





